東武半鋼製釣掛式通勤電車の最後を飾った電車と言えば、一般的に話題に上るのは7800系だと思われますが、ナナハチが一気に総崩れとなる1980年代前半まで同時に存在し続け、同時に消えていったのが7300系! ナナハチが純粋な新造車両であったのに対し、7300系は終戦直後の極端な車両不足を補うために、運輸省によって割り当てられた国鉄63系改め6300系をルーツとしています。広大な農村地帯へと食糧の買い出しに殺到する人々を輸送するにあたって、20m車の6300系はさぞかし威力を発揮したことでしょうが、同時にこの電車の導入に伴って車両限界を改めたことは、その後東武はもとより小田急・相鉄・南海などで20m車を大量に増備する基礎となったという意味で、大いに歴史的意義を持つ車両であると言えるでしょう。
その後、東武は国鉄63系をうまく使いこなせなかった名鉄からさらに譲渡を受けたり、戦前型国電の被災車を再起させるなどして6300系を増やして行きますが、如何せん桜木町事件でも悪名高きロクサン形。補修を重ねて7300系と改番しても、酷使がたたって老朽化が進んだことから、昭和30年代後半に下回りと通風器などを流用し、ナナハチと同じ車体に作り変えることによって、その後さらに急増する東武の幹線通勤輸送をナナハチや8000系とともに支えることになったのでした。
7300系と7800系の見分け方は至って簡単で、7300系はグロベン・TR25台車という如何にも国鉄型車両な外観を持っていたのに対し、7800系は押込式通風器とFS-10台車が東武の独自性を主張していました。というわけで、どうしても7300系にはイマイチ継子的な雰囲気が漂っていたんですよね……(^^;
とは言いつつも、ほとんど薄れかけた記憶の糸をたどってみると、私の場合はまず7800系よりも7300系への興味から東武の世界にのめり込んで行ったような気も……。もちろん、そのきっかけは「ロクサンつながり」! (^^;)。江ノ島線における毎朝2往復の限定運用を最後に小田急を去っていったロクサン車体更新車・1800形 (地元では「カマボコ電車」と呼んでいました。笑) と同じような来歴を持つ電車が他の私鉄にもいるらしい……ということで鉄道雑誌の記述を注意していると、存在が浮上したのが7300系! そしてその発展形態としてナナハチが大量新造されたということを知るに及んで、いよいよナナハチへの関心、そして愛が深まっていった……というわけです (爆)。
とまあ何のかの言いながら、東上線&越生線で最後の活躍をしていた7300系に乗って撮ったときは、勿論ナナハチと同じように満喫しまくったことは言うまでもありません (*^^*)。特に東上&越生初訪問の際は、その後秩父鉄道にも移動して小田急1800形改め秩父800系を楽しむなど、ロクサンの残り香にどっぷりと漬かる一日となったのでした。この頃の武州路は本当に夢のような世界でした……。
なお、これらの画像はカラーネガで撮影しているのですが、フィルムの劣化やスキャナのボロさゆえに色再現が悪くなってしまいました。そこで、思い切ってカラー情報を捨ててアップしております (あと、勿論トリミングも ^^;)。1枚目の画像は東毛呂駅、2枚目の画像は越生駅手前の八高線との並走区間での撮影です。