昨年8月以来、約半年にわたって断続的にお送りして来ました夏の中国&チベット出張鉄シリーズも、ついに最終回。最初は、瀋陽駅付近で偶然発見した満鉄客車の生き残りのご紹介から始めましたので、最後も満鉄客車の生き残りで締めることにしましょう。既にご存じの方もおられるかと思いますが、満鉄客車の中でも最も有名なものの一つ、テンイネ2型です!
この客車は、満鉄が最も隆盛を迎え、山海関から南の日本軍占領地での鉄道運営を行う華北交通も設立された1930年代、釜山~北平 (北京) 間の直通列車として走り始めた急行「大陸」用の展望車として、1936年に製造された非常に由緒ある車両です。満鉄最速列車「あじあ」ほどの神々しさはないとしても、25m級の重厚な客車を連ねた最新鋭急行列車の最後尾に連結されたテンイネ2型の存在感は、優雅な曲面ガラスといい、重々しく高級そうな三軸台車といい、それこそとてつもないものだったのではないか……と思います。たとえそれが日本の帝国主義的拡大と切っても切り離せない徒花だったとしても……マイテ49よりもカリスマ性を感じるのは私だけでしょうか?
そんなテンイネ2型、日本の敗戦と満洲国の崩壊後はもちろん管理権が中華民国→人民共和国に移ったわけですが、他の満鉄車両が長年の酷使を経て1990年前半までにほとんど廃車となった(それでも長寿!)ことと比べますと、やはり非常に高級な車両であったことが幸いしたのでしょうか、共産党・政府高級幹部の視察旅行用車両として転用されて丁寧に扱われて来たようです。そして80年代になると、満洲国をしのぶ日本人慰霊ツアー客を乗せる特別車両としても重宝された模様。RJ誌バックナンバーに載っている中国鉄道ツアーの広告などを見ていますと、「テンイネ2で行く中国東北周遊!」なんていう売り文句があったりします。
それでも、たび重なるスピードアップや老朽化の結果、VIP客車としての第一線を退いて線路作業員宿舎として用いられるという運命をたどり……最後はここ、中国鉄道博物館の側線に流れついてきたようです。
↑の画像を撮影した時点では、ごらんの通り草がからまった荒れよう。しかも、運が悪いと車内にいる作業員の「撮るな!」という怒鳴り声が……という事前情報もあったのですが、何ともラッキーなことに、このとき作業員は不在で、ゆっくりと記録できました (*^^*)。あぁ……流転の車生を終えて、ついに放置の運命か……歴史の波乱を地で生きた車両だったのだなぁ……と思いながら。
そこでしばらくすると、警備員が後ろから私の肩を叩きました。「ヤバイ!撮影禁止か? 撮った分を全部消せとか言われたらヤだなぁ……」と恐れていたところ、曰く「博物館の閉館時間はとっくに過ぎているから今日はハイおしまい!」とのこと。あぁビビった……(^^;)。そこで、また訪れたときに改めてじっくりと……と思いつつ、403路のバスに乗って宿へ戻ったのでした。
ですが、前回扱った「専運車」と同様、このテンイネ2も最近ついに博物館内に搬入されました! 他の満鉄SLともども、これから整備のうえ永久に保存されることになりましたので、もうこのような放置シーンを眼にすることは出来なくなっております。
満鉄・華北交通から中国国鉄へ……波乱の現代史の中を満鉄型客車が走り抜けた鉄路に、今あらためて満鉄技術の正統な継承者である新幹線E2系 (CRH2) が走り始めるというのは何という因果でしょうか。政治の紆余曲折はどうあれ、鉄道車両には罪なし! 中国鉄道博物館に保存されたテンイネ2と、これから活躍を始めるE2系CRH2に幸いあれ!
というわけで、06年夏の中国&チベット鉄シリーズに長らくおつきあい頂きまして誠にありがとうございました m(_ _)m