地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

台湾鉄路温故知新 (4) 屏東線の普快車

2008-03-27 12:04:31 | 台湾の鉄道


 台湾をぐるりと一周する台鉄の路線網のうち、南部の大都会・高雄から東南に向かい、屏東 (Pingtung・へいとう) 県を貫いて枋寮 (Fangliao・ぼうりょう) に至る区間は屏東線と呼ばれております。もちろんこの区間は、台湾南部と台湾東部を結ぶ重要な路線として優等列車が1~2時間間隔で運行され、とくに特急列車・自強号(この路線の場合日本製DC) は常に客を満載しながらガンガン飛ばしているのですが、それは屏東線の限られた一面に過ぎません。既に日本時代に開通していた屏東線は、80年代になって枋寮=台東新站 (現・台東) 間の南廻線が開通し、鉄道による台湾一周が可能になるまで、台湾最南端の田舎の日常に密着したローカル線として長い歴史を重ねてきました。というわけで、ここは完全に東南アジアとしか思えないほどの椰子やビンロウの森のねっとりとした雰囲気、華南の田舎のようなユルくまったりとした雰囲気、そして日本の非電化ローカル亜幹線さながらに懐かしい雰囲気が混然一体となっている中、チンタラポンと走る客車鈍行に揺られる……というのが、他では味わえない屏東線の魅力なのです……(*^^*)。
 そんな屏東線の鈍行、私が初めて屏東線に乗った1996年は藍色の日本製非冷房ロングシート客車の天下でしたが (時間の関係上、自強号で通過 ^^;)、3年前に訪れたときは藍色のインド製非冷房セミクロス客車がガチャガチャと連結されて走っておりました (当ブログ05年3月7日付記事をご覧ください)。しかしその後まもなく、西部幹線で余剰となったSP2300形客車 (前回も登場。スハ44風日本製客車SP32700形の冷改バージョン) に置き換えられ、さらに台鉄の列車種別名大幅変更により「普快車」と名乗るようになりました。



 ズラリと並んだ窓が壮観で、デッキの雰囲気が日本の旧客そのものなSP2300形は、既に車齢35年を超えてそこかしこに老朽化が目立っていたものの、他に非冷房車も辛うじて健在で物持ちが良い台鉄のこと、そこそこ快適なSP2300形は当分屏東線で安泰だろう……と予想しておりました。しかし、ここに来てEMU700 (正面の雰囲気から、阿福号=スネ夫号と呼ばれる) が大量に製造され、その玉突きで西部幹線の復興号客車が流入することから、SP2300形は3月15日を以て屏東線の運用から離脱する……云々という情報をネットで知って顔面蒼白。この車両が屏東線に入ってからまだ乗ったり撮ったりしていない……。
 というわけで、今回の台湾訪問最大の目的は、まさに屏東線から去りゆくSP2300形を満喫することでした! 旧型車両の引退直前ともなれば、最近の日本ではそれこそ大変な事態になりがちですが、台湾南部だけに全くそういうことはなく、あくまで日常の姿に触れることが出来たのでした……。
 が、唯一最大の問題として、何と既に部分的に復興号客車 (SP20000形) への置換が進んでおり、しかも順光となる枋寮方の3両は復興号客車……。折角の小窓ズラリ状態が、これではあまりうまく記録出来ません (T_T)。高雄方も、電源行李車 (日本のカニに相当) と行李車が各1両連結されていますし……。
 それでも考えようによっては、これも過渡期の極めて貴重な記録! この2つの車種が混結されて用いられたことは、たしか従来ほとんどないはずです。それにSP2300形自体も、90年代半ばに冷房改造されて登場した当初は復興号を名乗ったものの (冷房車だというのが唯一最大の理由)、利用客からは「デラックスなフツーの復興号とは違って、リクライニングせずボロい雰囲気なのに、何で同じ料金を払わなければならんのだ!」という猛ブーイングを受け、その結果1年後には「冷気平快」と改称され、非冷房鈍行と同じ運賃に値下げされたという経緯もあります (そこでSP2300形に対する評価は一転、「乗りドク列車」として愛用されているとか。笑)。したがってこれは、「復興号と、復興号になりきれなかった車両」の因縁の混結を意味します……。
 そして今やこの光景も歴史の一幕として去り、来る5月からのダイヤ改正では、復興号客車を暫定的に用いている屏東線の「普快車」という種別も正式に「区間車」(運賃は復興号=区間車)に格上げされて消滅することでしょう……。ここ10数年間における台鉄の変化の早さを、そんなことからも感じています。