地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

消え行く北京風情を想う・2年前の北京北駅

2008-08-07 19:01:59 | 中国の鉄道


 明日はついに北京五輪の開会式。既に始まる前から、それは本当に成功するのかどうか、無事終わるとしても成功といえるのかどうか極めてアヤシイものがありますが、とりあえずはテレビ越しに、冷めた目線で高みの見物というのが無難でしょう (笑)。五輪観戦ついでに鉄活動をしようという方は、厳戒状態の公安当局との悶着など、突発的なアクシデントに十分気をつけられますよう……。
 それにしても、北京五輪という一大イベントの体裁を取り繕うために、古いものを片っ端から壊して巨大or最新のものを造って行くスピードは想像を絶するものがあります。まぁ、私が生まれる数年前に行われた東京五輪のときもそうだったのかも知れませんが、中国の場合は「土地は全て国有だぁ! 使用権だけ貸してやる!」という前提のもと、猛スピードで土地を人々から召し上げて転がして行くのですから、やっぱ異常です。(以上の点についてのコメントはご遠慮下さい)
 そんな五輪目当ての大改造や巨大インフラ整備のうち、鉄道に関して筆頭に挙げられるのは北京=天津間の350km/h高速列車の運行開始でしょうか。JRE・E2系の6M2T・出力増強バージョンであるCRH2C型と、ドイツのICEを導入したCRH3型がその任に当たっているようですが、CRH2C型は車体など大部分が中国に技術移転されたとは言え、肝心の核心的な電装品は日本製のようですので、有り体に言って満鉄あじあ号や弾丸列車構想が描いた夢がついに、その本領発揮の舞台とされていた大陸で実現したということも出来るでしょう。
 しかし……この高速列車の起点とされた北京南駅が、開業に合わせて最新の巨大ターミナルとして改造されてしまったのはショック……。かつてバックパッカーをやっていた頃、北京南駅から鈍行列車に乗ったことがありますが、当時の北京南駅といえば、近場へ向かうローカル列車や貧しい農村地帯へ行く列車の発着が中心で、古い駅舎や雑然とした駅前広場に侘びしく裸電球が点る中、肥料袋に荷物をいっぱい詰め込んだ乗客が蠢いているという壮絶な光景が広がっていました。しかし、それがまた、人が集まる首都の一面を象徴しているわけで……恐らく昔の上野駅の雰囲気とも比較にならない濃密な空間だったと思います。そんな旧・北京南駅をつぶして、光り輝く高速列車の始発駅に大改造したというのは、まさに北京から多様な人間臭さを消して、無味乾燥でクリスタルな世界を造ろうということでしょうか……。



 もう一つの大きな変化といえば、北京都市圏の急速な拡大と衛星都市群の出現に対応するため、既存の鉄道網を活用した近郊鉄道網の整備が決まったことでしょうか。具体的には、S1~S6線として、西の門頭溝、西北の万里長城・延慶、東北の懐柔、東の平谷、東南の大興 (だっけ?)、西南の房山・周口店へと向かう路線を整備し、既存のボロい緑皮客車による「市郊」列車としてではなく、最新鋭のPP式ディーゼル動車&客車によって運行するというもの。そして、その第1弾として、この8月から北京北駅と万里長城・延慶を結ぶ列車が走り始めました。塗装が高速列車CRH=「和諧号」と同じであることから「和諧長城号」と名付けられたこの列車は (でも車体断面は一般の客車と同じですので全然「和諧号」じゃない……汗)、平地では160km/h、急勾配では45km/hの性能を発揮し、ドデカい車体サイズの列車が1時間~1時間半間隔で運行されるということで……この路線と同じ要領で他の路線の近郊列車も整備されるとすれば、それは恐らく日本・台湾・韓国やヨーロッパの近郊輸送よりも、巨大な車体のPP列車を仕立てたアメリカの近郊輸送に近いものになるのではないかと予想しています。
 まあ、もともと満鉄の遺産に多くを負っている中国国鉄は、満鉄がアメリカの鉄道に範をとっていることから、自ずとアメリカの鉄道に近い雰囲気になって行くのかも知れません。
 それにしてもこれまたショックなのは……この近郊列車のターミナルとしての機能を兼ねるべく2年前の時点で大がかりな再開発が進んでいた北京北駅が、やはり巨大なドームに包まれたかたちの駅となってしまったことです……。駅の東側に広がっていた、草むした機関区&貨物ヤードは、果たして今頃一体どうなっているのでしょうか……。中国に出張する機会も時間も最近ありませんので、直接確認できないもどかしさがありますが、やはり北京南駅と同じく、こういう濃いぃ空間は消される運命にあるのでしょう……。
 昔の北京は、どこに行っても必ず緑生い茂る静かな横町があり、それが異国の旅人をも和ませてきました。そんな雰囲気は、ローカル列車の始発駅と貨物スポットを兼ねた北京北駅にもあふれていたのですが……北京という街がオリンピックの名の下に古き良きものを失っていったのと全く同じ運命を北京北駅もたどっているのかと思うと、やはり複雑な気分です。あるいは、濃いぃ雰囲気が残っていた頃に訪れたことを幸運に思うしかないのでしょうか?