先日阪急2300系の話題を取り上げたついでに、2300系の神宝線系統の兄弟である2000&2100系が今も息づく能勢電の話題と参りましょう。既にネット上のいろいろなところで紹介されている通り、能勢電では100周年を記念して旧塗装2種類の期間限定復活と全編成へのHM取り付けを行っており、これまで能勢電には何のかの言って縁がなかった私も、これを機に初訪問を果たしました (^^)。
訪れたのは6月半ばの広島出張の帰りのこと (もう記事をアップする順番がメチャクチャ ^^;)。京阪で3000系ファイナルとの偶然の出逢いに興奮したあと、大阪モノレールと阪急宝塚線を乗り継いで川西能勢口に着いてみますと……うぉっ何と! 阪急の駅と能勢電の駅が完全に一体化している! (^^;)
もちろん、日生エクスプレスが梅田から直通する以上、阪急と能勢電の駅は隣接している必要がありますし、他の多くの乗り入れ駅では複数会社の駅が一体化していることも珍しくない以上、このことは驚くに当たらないのかも知れません。でも……私の脳裏にあった能勢電のイメージといえば、600形などの小型車がゴロゴロしており、さらに国鉄福知山線に連絡するスカ色の小さな電車が走っていた……という時代のもの (滝汗)。そんな世界が広がっていたままであれば、10代の頃絶対に乗りに行っていたはずですが、気が付いてみたら「ちょこっと支線」は消え、阪急1000系の天下となってしまいましたので、結局タッチの差で旬を逃して行かず仕舞い……。もちろん、阪急1000系もいま見れば超魅惑の車両ですので、80・90年代の能勢電を訪れなかったことを後悔しまくりですが、カルダン駆動車というだけで後回しだったからなぁ……(ボソッ)。というわけで、古い雑誌で見た記憶の中の能勢電と、阪急のほぼ完全子会社・実質支線となっている現実の能勢電とのあいだのギャップを、川西能勢口駅で一気に感じてしまったのでした (^^;;
それはさておき、川西能勢口から1700系の妙見口行に乗っていよいよ発車! 車内はさすが阪急の子会社だけあって極めてよく整備されていますが、コンプレッサーの「ポンポンポン……」という、東武6050系 (非新造車) のそれとよく似た懐かしい音に、間もなく車齢50年を迎える古参車なんだなぁ……という現実を感じます。ちなみに、いろいろと調べて見ると、1500系は当初宝塚線用の低出力車として造られた2100系で、1700系は神戸線メインの2000系だったとか。入線順序の違いで、形式名の数字の大小が逆転したとは……うーん、ややこしい (^^;)。
それにしても驚くべきは、能勢電がのっけから山岳鉄道ぶり炸裂だったことです……。急勾配・急カーブの連続……。そして一大分譲地やマンション群が続いたかと思うと、トンネルの連続、猪名川の峡谷、のどかな山村の風景……。梅田からさほど時間がかからないからこそ、山がちな沿線が風光明媚な住宅地として開発され、その住民の輸送のために10分間隔を実現しているのでしょうが、もし住宅街がなければ……こりゃ青梅線の山岳区間と良い勝負な険しさでは??と思った次第。そんな能勢電らしさが極まるのは、山下から先の区間! 団地に囲まれた山下駅から僅かに走った笹部駅は「へ?」と思うほどのどかな風景……。一応階段を上ると分譲地があるようですが、山下・畦野駅に出る方が便利ということで利用客ゼロ (汗)。その後は33~40‰を必死に登り、トンネルをくぐると光風台。ここも一大ニュータウンの最寄り駅ながら、谷底につき様子は見えず (^^;)。ときわ台は住宅街の中の停留所で、何となく江ノ電の駅っぽいなぁ……と思ったら、トンネルをまた抜けると完璧な山奥の棚田の風景となって、如何にも参拝&登山のための終着駅という風情の妙見口に到着! 僅か10数㎞でこれほどドラマチックに景色が変わる路線はなかなか乗ったことがありません……。
ともあれ、前に乗った神戸電鉄といい、今回の能勢電といい……北神・北摂という大都会に隣接した山地だからこそ発達した「都市近郊型私鉄登山電車」という趣きは、関東では味わえないもの。とにかくすごい、のひとことです (^^;)。