伊豆急50周年の歴史においては、開業数年後から毎年海水浴シーズンに車両不足を補う助っ人として走った東急7000系の存在を忘れるわけには行かないでしょう。開業当初に伊豆急が親会社・東急から借り受けた3600系は、さすがに戦災国電を叩き直した半鋼製釣掛式電車ということで予備車的存在だったようですが (RP誌アーカイブセレクション15・東急1950~60)、伊豆急とほぼ時を同じくして1962年1月に第一陣が登場した7000系は当時まだまだピカピカの新型電車ということで、ロングシートながらもそのまま堂々と海水浴臨の任に当たっても文句を言われなかったものと想像されます。急行「伊豆」が走っていた当時の伊豆急では、155・159系などを動員した全車自由席の臨時「伊豆」に伊豆急下田から乗る客に向けて1枚100円か200円の着席整理券を売っており、冷房が効いた定期列車でなくとも座って移動したい多くの客が先を競って購入していたのを思い出しますので (←もろオッサン ^^;)、そんな時代の普通列車にあっては「ボックスシートでなくても着席できればマシ」という発想も有り得たのでしょう。そういえば、伊豆急開業当初は国鉄側からスカ色戦前型国電が乗り入れていたはずですが、ニス塗りボックスシート釣掛と最新ステンレス・カルダン・ロングシートの対比ではどちらが良かったのか……(^^;)。そんな7000系の伊豆急応援運行は、伊豆急のATS導入を機に終了したそうですが、何はともあれ伊豆急の良き時代を象徴するエピソードでしょう。
そんな応援輸送の歴史を持つ、当時最新鋭のステンレスカーであった7000系も、早いもので何と来年1月下旬に登場50周年を迎えます。そして、東急7000系は他社に譲渡された車両も多い中、栄光のデハ7001がクハ7910へと姿を変えて東急線にて現役であるというのは素晴らしい限り……。もちろん下回りとクーラーは全面的に新しいものですが、車体デザインは米国バッド社からライセンスを供与された当時を偲ばせる米国地下鉄風をあくまで堅気に保っています♪ とは言え、登場当時はバリバリにアメリカンだったはず (?) の7000系も、やはり同時にどこか日本風な意匠が加えられ、約50年間東急と地方私鉄で走り続けて来たことで、すっかり日本の私鉄電車そのものになっているというのも喜ばしいことです……(*^^*)。
ちなみに、これらのカットを撮影したのは、去る4日に神奈臨千鳥線→東横線9000系を撮影した道すがらでしたが、この日の多摩川線は日中の節電ダイヤ4運用中1000系が1編成で、残りの3編成は7700系赤帯車でした。1000系はいつの間にか上田・伊賀譲渡で数を減らし、新7000系は思いのほか増えず (これもまぁ田園都市線と同じく、JAL問題が尾を引いているためでしょうか?)、結局池多摩線は7700系が主力として闊歩し続けるということに……。まぁ性能的には1000系と遜色ないはずですが、やはり沿線住民心理としては一刻も早い新7000系の増備を望んでいるのでしょう。しかしギンギラギンに輝くコルゲートがシブい車両を酷愛する立場から申しますと、このような展開は今から20数年前の池上・目蒲線が車齢約50年に堂々と達していた釣掛3000系列の天国であったことを彷彿とさせるものがあり、実に喜ばしさとともに「歴史は繰り返す」という感慨に耽らずにはいられません (^O^)。
というわけで、とくに7910Fにはこのまま走り続けて目出度く来年1月の50周年を迎えて頂くよう強く期待せずにはいられないのですが、同時に「7000系50周年鉄コレ」として現7700系の赤帯・歌舞伎両バージョンが発売されないものかのぅ」という妄想が (笑)。先日発売された福島交通・北陸鉄道7000系も、少々の塗装の乱れを除けば大いに満足の一品ですので、思わず期待せずにはいられないわけです、はい (ちなみに、福島交通7000系鉄コレにもれなく付属している動力台車用P-Ⅲ台車レリーフは、以前桜木町ヲタイベントにて東急7000系鉄コレを購入した方にとって漏れなく福音だったのではと思います♪ 私はこれまで東急TS台車をインチキ代用品として装着していましたので……^^;)。