地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第五ジャカルタ炎鉄録 (5) エコノミ電車廃車体

2013-09-19 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 白い車体の綺麗さは、今にも動き出しそうなほどですが……。



 屋根の上に廃貨車や台車が上積みされた車両も……。



 伸びきったパンタは、電気を求めて虚空をつかもうとするかのよう。



 いずれまた荒廃した姿を見るのか? それとも早々に解体……?

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 レバラン直後の親戚回りに向かう人々で猛烈に混み合い超ムレムレな車内のプルワカルタ鈍行の難行苦行をようやく終え、ジャカルタ・コタへ折り返して行く光景を見送ったあと……眼前には確かに、うち捨てられたばかりの非冷房エコノミー電車の廃車体が散乱していました (T_T)。日本を出発する前に、インドネシア人鉄ヲタによるブログを閲覧していたところ、7月末の時点ではプルワカルタ駅の側線に8連2本が留置されているのが確認でき、あわよくばレバラン長期連休を挟んでいるだけに、レバラン直後の訪問であれば引き続き全車オンレールな状態での最後の姿を激写できるものと強く期待していたのですが……。むしろ、レバランの前に出来る作業はやっておこうということなのでしょうか。台車と床下機器がもぎ取られただけで、パンタすらそのままの車体が転がり、その上に台車やら貨車 (?) やらが積まれている光景は、ジャカルタに何度も通ううちにいつの間にか非冷房エコノミー電車マニアになってしまった (ある意味で冷房車に乗るよりも全然、プリミティブな鉄道乗車の楽しみにあふれていますので……) 私としては非常に悲しいものがありました。しかし、日本にせよインドネシアにせよやがて重機の餌食になり、原形をとどめず再び溶かされることを思えば、こうして車体だけでも原型を保った姿を最後に目にすることが出来たのは幸運なことなのかも知れません。
 なお、グロ画像過ぎますので掲載は避けますが、数年前にバンテン線のランカスビトゥン駅で留置中に放火され焼失した10数両の客車や、故障→放置となって久しい日本製DCも同じ場所に運び込まれ (どちらも長らくマンガライ工場内で野ざらしになっていたとのことですので、恐らく夜間に超低速で回送されたのでしょう。焼失客車は回送中の崩壊を防ぐため車内に応急の筋交いがありました)、下回りを外されて無残な姿を晒しております。
 プルワカルタの鉄道用地に最近忽然と出現したこれら電車・客車・DCの廃車体は、地元のガキや若者にとっては格好の遊び場となっているようで、午後3時のアザーンが鳴り響いて涼しい風が吹き始めるや否や、ガキが車両間の屋根を飛んで渡ってかけずり回っておりますし、若者も三々五々集まって記念写真を撮ったりだべったりしております (爆)。しかし……とくに焼失客車の車内はアスベストらしきものが激しく露出しておりますので、決して車内に入ることはオススメ出来ないという……(滝汗)。この点、日本製鋼製エコノミ電車の車内につきましては、単に椅子を撤去してプルワカルタ駅の待合用椅子として転用しているのみで、窓が早速割られている他は今のところまぁまぁな状態を保っているように思われます (しかし、荒っぽくいろいろバラす過程で相当車内が煤けてしまったような印象も……)。果たして重機による解体は何時行われるのでしょうか、それとも今後長期にわたり野ざらしとなり、蔦が絡まる自然のオブジェと化して行くのでしょうか……?



 もうこの車内で豪快な走行音を聴くことが出来ないとは……。



 電車の魂=モーターが外され、車内に置き去りにされていました。



 1976年、川車製。37年間の活躍、ここに終わる……。