地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

栃木東部非電化散歩 (4) 真岡の50系

2016-05-10 00:00:00 | 地方民鉄 (関東北東部)


 地方幹線やローカル線にまだまだ大量に残っていた客車列車の質的改善を図るため、1980年代前半を中心に大量増備された50系……。当時、まさにこれから18きっぷを使って旧型客車の長旅をしてやろうと思っていた小坊~中坊期の私は、鉄道雑誌、そして現物で50系を目にするたびに「○ソ50……」と悪態をついていたものでした。しかし人間の心などというものは所詮移ろいやすいもので、90年代の非鉄期でも18切符の旅をして、磐越西線あたりでDD51牽引による50系の4連に乗ろうものなら、「ボックスシート……二段窓……タタタンと乾いた走行音……ハァハァ」と悶絶せずにはいられないものでした。JRはどこも労力削減のため、とめどなく動力分散へと舵を切り、701系とかキハ110とか、まぁいろいろ増えて行きましたから……。嗚呼最高だったなぁ……ヲタなんぞ他に誰も乗っているはずもない、超ガラ空きの雪見50系4連!



ともあれ、50系は北海道で一部が快速「海峡」用、または札沼線用PDCになった他は、悉くあっさり潰されてしまったものですが、こうして真岡鐵道でオハ50・オハフ50の計3両が原型を保っているのは、今や本当に貴重なことだと思います。早朝5時台の撮影で、又しても他にヲタが誰もいない中、シャッターを切りつつ思わず悶絶してしまったです……(笑)。そのうちいずれ、「客扱い回送」の6103レに乗らなければ……。

 それにしても、JRHのPDCがベンチレータを取り払い軌間を微調整するのみであっさりとミャンマー国鉄を走行できるのと同じく、一気に大量廃車になった50系がミャンマーに大量輸出されていればどれほど愉快痛快だったことか!と思います。しかし、50系の大量廃車期は、1988年のミャンマー政変以後、軍事政権と欧米日との関係が最も冷却化していた時期と重なっており、嫁ぎ話のトの字も出なかったことこそ悲しけれ……。国内外を問わず、譲渡話がうまくまとまるためには、双方の事情や利益が合致することが何よりも第一であり、脳内の妄想だけでは上手く行かないということでしょう (その割には、例えば西側による厳しい経済制裁がなされていたはずのイランに、欧州型客車やウリナラセマウル客車が輸出されていたわけですから、裏の裏もあったはず。最近、ウリナラパックネテートンリョンがイランを訪問し、超大型インフラ案件を受注したわけですが、その裏前提として、制裁解除を見越していち早くセマウル客車をプレゼントするなど、いろいろあったのかも知れません。をっと話題が大きく逸れてきたのでおしまい)。