昨日は香港と大陸各地を結ぶ高速鉄道が開通したようですが、その事の本質は香港の本土派が強く主張する通り、大陸側の出入境管理も西九龍駅で行い、車内は大陸の法律が適用されることで、特別行政区の特別行政区たる所以が毟り取られてゆくということであり、これこそ国家主権がないことの悲哀というべきでしょう。
しかし個人的には、そんなことよりも重大な問題が。私の怪社の近所には、何故か (笑)『中国鉄道時刻表』の最新号が出ると必ず広告が貼られるラーメン屋があり、美味しいので毎週1回程度訪れるのですが、今日を以て太麺メニューを止めて、細麺に集中することになったとは……。先週末に食べ納めで訪れたところ、多くの客がケータイでお気に入りの太麺メニューを記録にとどめていました。
というわけで、私の頭の中は高速鉄道が駆け巡る未来ではなく、常に過去へ過去へと向かっておりますので、昔の中国の鉄道を語るネタのひとつとして、北京・中国鉄道博物館にて保存されている勝利型とKD5型の画像を貼っておきます (撮ったきりHDの中で放置していました ^^;)。このうち勝利型は、主に満鉄向けに製造された日本製または満鉄工場製の旅客罐であり、KD5型は日本のキューロクをメーターゲージに改造し昆河線に投入したものの生き残りです。
もっとも、この2両はそのまま鉄道博物館で保存されているはずですので、別に昔を語るネタでも何でもないかも知れません。しかしご注目あれ……車両の周りがスッキリしていることに! 少なくとも2000年代は誰からも注目されず (近場のタクシーの運ちゃんすら知らない)、訪れる人間のかなりの割合が日本人鉄ヲタであったと思われるこの博物館も、その後の経済発展やら、科学技術教育の重要性強調やら、あるいは鉄道趣味の萌芽とお子様層への浸透やらで、最近は常に参観者がいるようです。しかしここは天朝大中華 (笑)。来客の文明礼貌度に応じて、危険を避け収蔵品を保護しようとすると、車両の周囲に高めな囲いを張り巡らし、絶対に入るなよとアピールしなければならないようです。というわけで、2006年にここを訪れておいて本当に良かった!と思います。