地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

惜別!京急1000系白幕車

2005-04-05 01:02:00 | 大手民鉄 (京急)


 「春なのに……」という歌詞もそのままに、私鉄趣味の世界では悲しいお別れが相次いでいる今日この頃ですが (T_T)、かねてから全車引退カウントダウンがささやかれていた京急1000系の白幕車 (分散式クーラー搭載の冷房改造車) が完全に運用を離脱したようです……。
 私はかつて数年間京急沿線に住んでいたのですが、その頃は快速特急のうちごく僅かな運用だけがボックスシートの旧600系で、残りの快特と特急はまず間違いなく1000系で来るという時代でしたので (→明らかにオヤジに片足ツッコミ世代 ^^;)、ただでさえ「あ~あ、また1000系か」と思うのが日常でした。そのなかでもとりわけ、黒幕の新造冷房車と比べると当時側面の方向幕がなく種別幕だけだった白幕車は「ボロいはずれクジ」に思えて、これに当たるとガックリすることがしばしばでした (^^;
 でも、やがて1500系や2000系、さらに現600・2100・新1000系へと優等車の主力が移るにつれて……実は元祖1000系の均整のとれたデザインと力強い走りっぷりはまさに名車そのものなのではないか……という思いが強くなりました (調子の良いヤツですみません ^^; ちなみに、1500系は登場時から今まで結局好きになれないんだよなぁ……)。

 そういうわけで、最近は1000系の活躍を特に熱いまなざしで見守り、全く衰えない加減速の機敏さ (特に普通車運用が増えて以来一層発揮されています) を楽しんでいたところだったのですが、新1000系の急増で車齢の古い白幕車からどんどん運用を離脱し、ついに白幕全滅という、いつかは来ることが分かっていたその時を迎えてしまいました……。
 ↑の画像は先月、大師線の運用に入って最後の活躍をしていた白幕車です。私はこの日、特に下調べもせずに大師線に行ってみたのですが、余りの偶然に感動しまくり、だいたい4往復分撮影して最後の別れを惜しみました。

 ちなみに、大師線もそろそろ地下化工事が本格化するそうで、特に渋滞が激しい産業道路の踏切 (画面後方) とその前後を優先的に施工するそうですので、1000系、そして700系ともども歴史の中の1シーンになって行くのでしょうか。撮影はお早めに……
 そうそう、琴電に行けば1000系白幕車も700系もたくさん見られますね (^^)。ああ久しぶりに琴電行きたい……。

瀬戸線・大変化の時代?

2005-04-04 00:11:57 | 事業用車両


 この3月で大いに変わってしまった名鉄の中で、離れ小島的に現状維持しているかのように見えるのが瀬戸線ですね (万博の影響はどの程度出ているのか、まだ良く知らない……^^;)。釣掛式電車も現存することで醸し出されている「古き良き近郊電車」らしい雰囲気の名残については、このブログを始めた頃にも少々触れました (^^
 そんな瀬戸線の一番魅力あふれるスポットとして、個人的には車庫のある喜多山駅を挙げずにはいられませんが、その喜多山駅がこれから高架化工事によって様変わりしてしまうそうで……。単に構内横断踏切がなくなってしまうだけでなく、車庫も尾張旭に移ってしまうため、もはや大手私鉄では貴重な (?) 木造の車庫も間もなく見納めのようです……(T_T)。
 喜多山車庫のはずれで、最近使われた雰囲気もなくひっそりとたたずんでいるデキ376 (↑) も、一体どうなってしまうのでしょうか。(現状では撮りやすい位置に置いてあるだけになおさら気になります)

さよなら名鉄岐阜600V (7) 思い出の510形・三重連

2005-04-03 10:08:02 | 懐かし画像


 昨日は520形に関する話題をアップしましたので、その後1987年頃から770形が新造されて、520形が510形よりも一足先に廃車になり始めた頃からの過渡期を回顧してみたいと思います。90年代に入って780形が新造されて朝ラッシュ時の主力の座を占めるようになるまで、揖斐線の3両編成の運用は、510・520形と700・750・2320形がそれぞれ1~2往復を担当していたと記憶していますが、そのうち510・520形の3連については、520形が先に廃車になって行った結果、必然的に510形だけで3連を組む機会が増えたのでした。というわけで、丸窓・リベット・二段窓……が見事に揃った3両編成が全車パンタグラフを振りかざしながら朝の下方鉄橋を堂々と渡って行く光景を初めて目にしたときの感動と興奮といったら……思わずシャッターを切り忘れそうなほどだった (^^;) のを覚えています。
 しかも、何がサイコーだったかと言いますと……80年代までの揖斐線沿線では、他にカメラを構えた撮り鉄をほとんど見かけず、もちろんこの3重連を含めの~んびりと撮影出来たことです (^o^)。
 ちなみに、この頃は770形がやって来ると「つまんね~」と文句を言っていたものですが (^^;)、その770形の塗装も赤一色で、いまポジを改めて眺めるとやっぱり懐かしいですね。そういう意味では、この80年代後半が一番車種的にバラエティに富んでいて面白かったのかな、とも思います (70年代以前はもっと面白かったのかも知れませんが……)。でも、それも既に10ウン年昔の話か……廃止になる瞬間まで新型だと思っていた770形も実はそれだけ走っていたんですね (^^;
 というわけで一応、岐阜600V廃止記念・80年代回顧ネタは今回でおしまいです。とにかく、記憶の中では赤い小さな電車たちは永遠です!

さよなら名鉄岐阜600V (6) 思い出の名脇役・520形

2005-04-02 16:36:14 | 懐かし画像


 揖斐線の名脇役とくれば、もう一つ忘れてはならないのがこちら、520形です。もともとは美濃電の木造電車だったそうですが、揖斐線急行運転開始に際して鉄板を貼り、転換クロスシート化改造を受けて、このような姿になったとのこと。如何にも木造電車の名残を残した窓配置・丸見えの台枠・ゴツく僅かに斜めに傾いた前面など、510形と比べると変わり種的雰囲気 (^^;) が強いですが、そんな電車が510形とデコボコなコンビを組んで快走しているというのが見どころでした (^^)。
 そんな520形の変わり種ぶりの最たるものは、運転台に2つコントローラが設置されていたことです! これはどういうことかと申しますと……520形自身の走り装置は直接制御であり、間接手動制御 (HL) に改造された510形とコンビを組む際にはもちろんそのままでは総括制御が不可能なので、510形に対応したHLコントローラを併設していたというわけです。そこで、この併結運転の際、520形はあくまで無動のクハ扱いとなり、強力なモーターを備えた510形にぶらさがっているだけでした。510形のダイナミックなサウンドに比べれば、何~んにも音が出ない520形はつまらないので、結局一度も520形には乗ったことがありませんでしたが (^^;)、さらに思い出してみれば、520形の単行運転は80年代当時ほとんどなかったように記憶していますので、モーター音を上げて自走しているシーンすら見たことがありません (^^;;;)。そういう意味ではちょっと不遇で地味な電車だったかも知れません。

さよなら名鉄岐阜600V (5) 思い出の名脇役・2320形

2005-04-01 22:47:44 | 懐かし画像


 31日は終日大変な模様だったようですが、私は朝から終電までずっと年度末の多忙に追われていました。でも、リアルタイムで廃止直前の光景を見なかったおかげで、今後はいくら廃止当日画像が出回っても、直接岐阜を訪れて現実をナマで見せつけられてしまわない限り、私の記憶の中で岐阜600Vが走り続けてくれるような気もしています……。自己満足ですが (^^;)。
 ※なお、個人的には今のところ、これほど公共交通に冷たく、しかも「本当にここが県庁所在地?」としか思えないほど街が空洞化して生気がない岐阜には、改めて訪れる予定はありません (-_-)。

 それにしても、一応どういうふうに変わるのか……ということで、代替バスの時刻表を岐阜バスHPで見てみたのですが、本数めちゃ少なすぎ! (爆) それなりに線路があったからこそ存在した輸送需要も、線路から離れていてかつクネクネした代替ルートにならざるを得ないことで激減するに決まっている、という余りにも後ろ向きな見通しを立てたのではないかとしか思えません。こうして、電車のみならずバス網もどんどん先細りになって行くのが岐阜というところなのかなぁ……と、ヨソ者の勝手な印象ながらも思ってしまわずにはいられません……(~_~)。
 黒野~穂積間のバスは、本数的に決して多くないものの、速くて便利そうだなぁ……という印象があります (^^;)。とはいえ、揖斐線沿線から岐阜・名古屋に出る需要も、穂積駅まで車という選択に食われてしまったのが命取りの一つであり、そのことを反映させた路線のような気もしますので……複雑な気分です。

 さて、こういう代替バス輸送の状況を目にすると、かつて揖斐線では中型車3両編成が通勤・通学客を詰め込んで忠節まで向かい、さらに岐阜市内線に連絡していたという光景が遙か遠い昔の話になってしまったようですね……(廃止前、小型な780形の3重連でも間に合っていたというのもそれなりにショックでした)。その頃威力を発揮していたのが、700・750形、そしてク2320形です。750は数年前の谷汲・本揖斐廃止まで走っていて、700ともどもずんぐりとした車体は、ここ数年~10年来(?) 揖斐線が非常に注目を集める中で印象に残っている方も多いのではと思いますが、ク2320は780形登場とともに廃車になってしまいましたので、ご存じでない方の方が多いかも知れません。
 ですが、ク2320は、かつて名古屋~豊橋間を高速で飛ばした2扉車が電装を解かれ、華奢な台車とともに支線でのんびりと余生を過ごす……という、まさに波瀾万丈の人生ならぬ車歴をベゴベコの車体ににじませ、ゆっさゆっさと車体が揺れるたびに釣り皮が盛大に音を奏でるという、実に趣味的に見て味わい深い電車でした (^^)。運転台が恐ろしく簡単なつくりで、確か速度計もついていないので、運転士の職人技の見せ所だった (?) のも懐かしい思い出です。