東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

小沢一郎一派の所業、おまけ

2012-05-10 10:36:33 | 社会・経済

控訴期限に先だって党員資格停止を解除したのは控訴を断念させるための示威行為、圧力であったことは間違いない。あてが外れて残念でしたね。

三権分立だから、司法が政治に介入してはいけないが、政治も司法に圧力をかけてはいけない。前にも書いたが、一審判決前に、無罪を主張するのはいいが、有罪判決を出したら裁判官は左遷やひどい目にあわせるぞという脅迫めいたものが多数インターネット上に見られた。

同工異曲の内容で、明らかに小沢の手のものが書かせた集団示威行動とみられる。自分の有利になるように一審裁判官に脅迫をおこない、判決が無罪になると、それを金科玉条のように振りかざして政治的批判を圧殺しようとする。これはファッショであり、オームのようなカルト集団そのものの特徴である。


小沢一派の神をも恐れぬ所業

2012-05-10 09:46:35 | 社会・経済

『神をも恐れぬ所業』という言葉がある。小沢の子分輿石某なるものが早々と小沢一郎の党員資格停止を解除したのはまさに神を恐れぬ所業である。

現代の神、民主主義を恐れぬ、国民を恐れぬ、民主政治を恐れぬ悪行である。党員資格解除は民主党内のことではあるが、資格停止解除は判決が確定してからとなっていたそうだ。それなのに、少なくとも控訴するかどうかが、わずか一日、二日待てば済むのに、いかにも何かをおそれるように、民主政治の権威にあえて挑戦するように小細工を弄して解除してしまった。

裁判は裁判で粛々と進む。政治家もまた当然の責務を果たさなければならない。三権分立だべ。国会は裁判所のしもべではない。

裁判は証拠と論拠に基づいて独自のプロセスを進む。裁判がすべてではない。疑わしくは罰せずという原則もそのためにある。世間は政治的に、社会的に、倫理的批判と言うものが占める比重は大きい。

それがゆえに、そういう批判が行きすぎないように、小沢本人に抗弁や身の潔白を証明する権利が与えられている。それが国会証人喚問である。そこに出ないと言うことは、政治的に非難されても仕方がない。

疑わしくても無罪になれば、政治的に説明責任も消滅するという考えなら政治家の資格はない。

そういう考えはシナ語では法匪という。小沢一郎は法曹界に転身すればいいだろう。

だから小沢が裁判中だから証人喚問には応じないと言うのは通用しない。まして、とにもかくにも一審で無罪になった今は、進んで釈明の機会を求めて自ら証人喚問を請求すべきであった。