東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

楽しみのためのホロコースト

2015-01-15 20:37:21 | 私はシャルリ

「パリの事件は窮鼠猫を噛む、という趣がある。追いつめられたネズミが捨て身の反撃をしたともとれる。絶対に認められないことだが、犯行の動機としては説明出来る。だがアメリカのやったことはほとんど楽しみのためのホロコースト、ということになるんじゃありませんか」

「サンダル教授、良いところに気が付いたな。アメリカは日本が原爆投下、ソ連参戦でも降伏しなければ、あと1ダースも原爆を投下した後で関東平野にサリンをまいてから上陸する作戦だったらしい。サリン散布による日本市民の死者を五百万人と計算していた」

「本当ですか」

「本当だとも、コロネット作戦なんてふざけた名前までつけていた。その前に九州上陸作戦を計画していて、これがオリンピック作戦と呼んでいた。

だから天皇陛下は終戦の詔勅で「敵は残虐な兵器で無辜の民を殺戮し日本民族を根絶やしにしようとしている」と述べられたわけだ」

* 終戦の詔勅から抜粋
「敵は新たに残虐なる爆弾を使用し頻りに無辜を殺傷して惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る。なお交戦を継続せんか終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、すべての人類の文明をも破却すべし」

おやおや、サンデル君、まだ鉛筆を舐めて呻吟中か

2015-01-15 07:45:51 | 私はシャルリ
サンダル君、こういう資料がある。参考にしたまえ。

「70年前、すなわち1944年の秋から1945年の夏までに起こったことは次のようなことだ。1944年夏日本はグアムとサイパンを失った。これは何を意味するか。グアム、サイパン、テニアンなどの島に巨大滑走路を建設すれば日本国内は長距離爆撃機の攻撃圏内に入る。つまり敗勢は決定的となった。日本はこれを理解していた。サイパン陥落後東条英機内閣は総辞職に追い込まれた。

戦争終結をはかる動きも日本国内で出て来た。その一つは日本との間に中立条約のあった当時のソ連を通してのものであった。アメリカはお得意の諜報網で日本の動きを完全に把握していた。ルーズベルト・アメリカ大統領はカイロ、ヤルタ会談で千島、南カラフトという餌を与えることでスターリンに日本との中立条約を破り日本に攻め込むことを勧誘した。

アメリカは敗勢が決定的となった日本が模索する終戦交渉をことごとく妨害し無条件降伏を要求し続けた。同時にフィリピン、オキナワと攻め上がり、また南から島伝いに日本本土に接近する飛び石作戦を実行した。ここで予想もしなかった頑強な日本軍の抵抗に遭い恐怖に襲われた。日本本土に戦線が近づくにつれて、アメリカ軍兵士の損耗は激しくなったのである。つまり正規の戦争では甚大な損耗なしに戦争を継続出来ない。

ここでアメリカは決定的な有利な立場にたった長距離爆撃機の攻撃目標を非戦闘地域の非戦闘員を対象とする大量虐殺作戦に変更したのである。グアム、サイパン、テニアンに完成した大滑走路から飛び立つB29は最初のうちは日本の軍事拠点、飛行機工場などに目標を絞っていたが、民間人家屋への攻撃にシフトした。これはアメリカ政府最高首脳による日本人ホロコースト作戦である。そのために日本の木造家屋放火用に特別に焼夷弾という爆弾を開発した。

「ということは、要約するとこういうことでしょうか。海軍や海兵隊による島伝いの作戦で一万人の米兵の犠牲を避けるためには、非戦闘地域の女、子供等の日本人を百万人単位で焼き殺してもいい、と」

「そういうことだ。そういう理屈が成り立つかという点でシャルリ・エブトとの比較をするといい。もっともパリの事件では比率は逆だが、非戦闘地域で非戦闘員を戦争手段として殺傷していいかどうか、という問題としては同じだ。悪質さということでは70年前の方がひどいけどね。許しようがないのは、アメリカは決定的に有利な立場に立っていて、日本が必至になって終戦交渉を模索していてすぐにでも終戦交渉に入れたのに無条件降伏を要求してホロコースト作戦を実行した。ホロコーストか無条件降伏か、なんて要求はジンギスカンでもしなかったんじゃないかな」