東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

沿海州帰属の歴史的経緯

2016-12-01 10:54:05 | プーチン来日

前回の記事の補足である。

正確に言うと沿海州は清国の領土からロシアの領土になった、19世紀に。そして清朝は満州族の王朝であったから、沿海州が漢民族の領土であったことは歴史上一回もない。歴史的経緯をたてに此の地の主権を主張することはできない。 

大体満州(現中国東北地方)も歴史的に中国領土だったことはない。清朝時代には漢民族を支配した満州族の出身地であり聖地であった。漢民族は満州への入国は許されていなかった。

わずか100年前、清朝が滅亡するとシナ人の無秩序な移民の流入が始まった。そして日本が満州族の廃帝溥儀を擁立して満州国を建国して、経済的にめざましく発展しだすと漢民族の満州への流入は爆発的増加した。 

この歴史的事実を補足しておく。

 


北方地域の安全保障

2016-12-01 09:48:57 | プーチン来日

強い相手には向わない、弱い相手には屁理屈をこねて脅し付けごり押しする、これがシナ流である。沿海州は19世紀にロシアが清国から奪った土地であるのは周知の歴史的事実であるのに、ロシアには強く出ない。勝てないからである。 

南シナ海や東シナ海では歴史的根拠も無いのに関係国が新興の弱小国か「戦争出来ない」という特殊な国内事情の「しばり」がある日本であるから無理無体を押し通す。大体南シナ海を実質清国が占有していた事実は全くない。だいたい、清国は日本と同様鎖国を国是としていた。さらに言えば清国は満州族が漢民族を植民地支配していた国である。したがって清国が勢力を伸ばしたチベットは満州族の植民地ではあったが、漢民族の支配が及んだことはない。 

清国の前は自前の漢民族政権の明朝であった。この王朝は海洋進出に積極的ではあったが、海外進出の目的は通商であった。シナ人の通弊として交易相手にも形式的には朝貢という形を取ったことが有るかも知れないが、領土支配の証拠にはならない。当時日本も東南アジア諸国に交易船(ご朱印船)を多数繰り出していたが、文化的に朝貢という形式を取らなかっただけで、シナと同じことをやっていた。これがシナ固有の領土の証拠などというのは強盗の屁理屈である。日本が東南アジアに歴史的主権があるなどという恥ずかしい「寝言」を国際社会で主張したことはない。

さて北方の沿海州であるが、今後の国際情勢の風向きによっては日ロの経済協力によって発展するであろうこの地域に、中国がまたぞろ歴史的にシナの領土であると主張して南シナ海と同様の侵略を試みる可能性は高い。シナ人はヤクザと同じで利益の上がらないシマは無視するが、日ロ経済協力で目覚ましく北方地域が豊かに繁栄する地域になると南シナ海と同じ行動をする可能性は高い。そのためにも日ロの安全保障協力は不可欠である。