てなことを昔は申しました。しかしそんなケースは実際にはありませんでした。当たり前ですね。言われた相手も、相手が本当にそんなことをするとは思いません。ま、レトリックですな。要するに「子供の管轄権は親の俺が持っている」ということを言っているにすぎません。
現在では人類の知能は劣化しておりますから、文字通りにしか受け取らないのです。現在では無駄な雇用を増やすためか、どんな地方にも教育委員会というのが多数のスタッフを抱えております。
私は学校や教育委員会が親のDVを監視することには反対しません。しかし、やるなら責任をもってやってほしい。その職務遂行の過程で瑕疵があれば厳罰に処すべきです。自治労は例によって反対するでしょうがね。
最近うんざりするほど報道されているケースでは、管理者というか看視者である教育機関は責任をまったく果たしていない。むしろDVを助長するか促進するような対応をとっている(不作為を含めて)。そんならやらないほうがいい。
昔のように「俺の子供だ、干渉するな」という場合と、お手当て目当てのおざなりな教育関係者の無責任な対応体制では、どちらが児童のDV犠牲者が多くなるか検証すべき時期に来ている。
勿論こういう問題は実証実験は出来ませんから思考実験ということになりますが、もうそのような検討が不可欠の時代になっていると考えます。
もう一つ気が付いた点を言っておきますが、五歳と一〇歳(たしか)の女児は文章を残しているが、とてもその年齢の児童がかけるような文章ではない、しっかりとした文章で驚いています。自分のそのころのことを思い出しても(といってもほとんど思い出せないが)あのようなしっかりとした文章は書けなかったでしょう。彼女たちは新人類なんですかね。そうすると親はそういう才能の発芽を見て脅威を感じるかもしれない。オオカミの親がライオンを生んだとすれば子供に脅威を感じるでしょう。その辺も事件の遠因かな、と感じます。