東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

私の選挙歴

2016-06-19 07:34:23 | 選挙
私が選挙に行く様になったのは二十一世紀になってからである。前世紀にも選挙権を得た直後は物珍しさもあって一度投票所に行ったことがあるが、投票所の雰囲気の悪さに呆れて二度と行ったことがない。

女子大生とデートをしたときである。たまたま選挙の日だったが「もう選挙に言って来たの」と聞く訳だ。行く訳がない、というと怒った彼女にお説教をされた。
デートに喫茶店なんかで会うと、「こんな所にこなくてもいいのに」というようなあばずれ女であったが、この政治意識の高さにたじたじとなった記憶がある。

冷戦時代には選挙にいこうと行くまいと米軍の存在があるかぎり日本の基本的な政治状況が変わる訳がない。農村は健在だし、経済界もしっかりしていた。東からの脅威はそれなりにあったのだろうが、一選挙民レベルでは無視出来る。

米軍占領時代の終戦直後には社会党政権が出来たらしいが米軍がいるかぎり何も出来なかった。冷戦時代というのは分かりやすくいうと山口組と神戸山口組がシマを争っていた時代である。六本木や歌舞伎町のような有力なシマはどんなことがあっても相手に渡さない。日本はアメリカにとって最重要なシマだったのである。最終核戦争になってもアメリカが日本を手放すことはあり得なかった。そして冷戦のメカニズムというのはそういう現状維持の均衡が崩れないようにするのが戦略だったのである。

無責任な言い方をすれば選挙に行こうが行くまいがなにも変わらない。冷戦は1980年代の終わりにアメリカの勝利で終わった。その後極めて緩やかなしかし、根本的な変化が日本でも世界でもおこった。

アメリカは冷戦時代中国接近をはかった。これはソ連の弱体化が狙いであったが、これに泡を食って「見当違いの」反応を示したのが「天才田中角栄」であった。アメリカに中国の市場を取られたら大変というので、向うの言うことを何でも聞いて結んだのが日中平和条約である。日本の無思慮無制限な援助が支那の経済膨張、軍事力の拡大、覇権主義を招いたのである。キッシンジャーの訪中はソ連に対するアメリカの冷戦戦略と見て放っておけば良かったのである。角栄の大罪である。

石原慎太郎君が「天才」というのは反語なのだろう。彼の本は読んでいないが。

もっとも、冷戦時代が終わり、日本のあらゆる経済援助により支那が経済的に魅力的なマーケットになると、アメリカの戦略も変わってくる。支那が巨大なマーケットとして台頭すればアメリカにとって、日本等どうでもよくなる(極端に言えばね)。

現在、アメリカが冷戦時代の様に無条件で支那の脅威から日本を守るかどうかについて日本人は半信半疑になっている。また、自民党もタガが外れたようになっている。このような状況で自民党を信用している訳ではないが、今世紀に入って選挙に行く様になったのである。

国民には三つの選択しかないのだから。
1:賞味期限を越えたまずい飯を食うか(自民党に投票するか)
2:腐ったメシを食って食中毒になるか(野党に投票するか)
3:なにも食わずに飢え死にするか(棄権するか)、である。
1:しかないでしょう。違うかな。3:はあり得るが2:は
自殺願望がないかぎり論理的に絶対有り得ない。もっとも野党といっても色々あるか。*民*党とか*社*党より左というべきかな。

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