そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

公共事業への諫め

2009-10-18 | 政治と金

福岡高裁沖縄支部は16日に泡瀬干潟の開発事業の公金差し止め命令を下した。鞆の浦の差 し止め判決同様に、景観の公益性を認める画期的な判決である。

画期的な内容は、景観の公益性を認めたことと、計画そのものの不備を指摘したことにある。国が地方に様々な公共事業を持ってくる。公共事業の大きさで政治家が評価される。政治家はよりい大きな公共事業へと動くのである。

この判決のもう一つの大きな面は、他の公共事業への波及的効果である。公共事業が単に政治的視点や地域振興(実質は土木振興であるが)のための、公共事業への諫めとするべきなのである。

これには、政権交代が微妙に影を落としているように思える。かつて、長沼事件で自衛隊の憲法違反を下した、福島裁判長はその後地方回りで定年を終えた。要するに冷や飯を食わされたのである。当時30歳そこそこだったはずであるが、彼以降憲法判断を避けて通る判決ばかりが続いている。

昨年、イラクの自衛隊派遣は憲法違反と名古屋高裁が判決を下した。ところが、彼は定年直前だったのでそんな判決をしたのだと、自民党幹部の発言がある。更に、田母神航空幕僚長は「そんなの関係ねぇ」と、無視した。日本では権力者の意向に反した判決はほとんど出されなくなってきた。裁判官というより司法が軽んじられているのである。

地方は本来一次産業で活力を持たなければならない。ところが現実には、地方都市を牛耳るボスの殆どが土木建築業者である。彼らの存在が、政策的に虐げられてきた一次産業の健全な育成を拒んでいるのである。更には、自然破壊と政治的癒着と利権が生じるのである。

鞆の浦判決を、広島県は15日に判決を不服として控訴している。背後に不特定多数の建築業者を抱えている自治体の判断であろう。景観や環境についての視点があるわけではない。沖縄県には控訴を断念してもらいたいところである。

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