そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

アラブの春は冬だったのか

2014-11-07 | 政治と金
2011年から始まった、アラブ地域の民主化運動”アラブの春”は欧米の支持を受けて、燎原の火のごとく広がった。若者たちが街頭に出て、長年続いた独裁者たちやイスラムに対する反抗として歓迎され、東欧の崩壊のように一気にアラブは民主化されると多くの人が思っていた。
ところが、現実には何十年も続いた独裁者が倒れ、そのこととで抑制されていた宗教勢力や政治団体が、お互いを認めないほどの対立とが鮮明になり、より一層混乱の輪が広がった。
これは、アラブの春の10年前に起きた、イラクのフセインがアメリカの侵攻によって倒されたことと類似する。これまで抑制されていた宗派対立が一気に噴き出し、今では解決困難な暴力テロ事件の連鎖の中にある。アメリカがイラクを理解することなく暴力的に介入し、不用意にバランスを崩したためである。
アラブの春は、チュニジアから広がった。チュニジアでは先月末にやっと選挙が行われ、穏健な世俗政党である、チュニジア労働党総同盟がイスラム政党を抑え第一党になった。イスラム色を否定するよりも、汚職官僚への反発から起きたジャスミン革命と言われるものであったが、唯一民主化への道を歩み始めたといえる。
残りはというと、アラブの大国エジプトが良い例である。若者主導で30年続いたムバラク政権を倒したが、選挙ではイスラム同胞団が勝利して政権を取ったものの、一年して軍部が政権を握るという事態になっている。選挙という手法が、アラブのイスラムの国々にとって文化的にも歴史的にも、受け入れられていないシステムだということが解る。
リビアも42年続いたカダフィ大佐の独裁の、後始末が出来ていない。フランスなどが加わった政権打倒が、ボコハラムなどの過激派を産み、武器も流れる結果になり、いまだに混迷している。
シリアはこれら先発のアラブの春による民主化が定着していない現実を背景にして、政権打倒を目指す欧米の支持を受けた反体制派に反対する、イスラム原理主義国家を打ち立てるとする、イスラム国が凶暴な姿を現している。アサド政権の延命に手助けする形になっている。シリアにはもう一つ、クルド民族という問題があり、解決を一層困難にしているといえる。シリアの混乱はアラブの春のもう一つの行き着いた結果ともいえる。
アラブの春は、欧米の煽る形で大きな流れを作ってきた。即自的に若者に支持されたとはいえ、所詮欧米の制度であり、背景にキリスト教が見え隠れする。アメリカのような軍事的介入が解り易いが、欧米の介入は結果的には解決の道すら見つけられない。独裁者が続きその間言論の自由などないものの、イスラム国家の統治には独裁制度が都合良いように思われる。
イランの人たちの声に驚いたのは、だれもが王政の復活を望んでいることであった。欧米の民主制度以外の手法をアラブは模索しているのかもしれない。
民主化の道を模索するチュニジアと、ハメネイ師の寿命が尽きようとする単一民族国家のイランが、アラブの統治機構のモデルを示してくれるように見えるのであるが。
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