そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

平尾昌晃さんが亡くなられた、一つの時代の終わりを感じる

2017-07-22 | 平尾昌晃
敗戦に打ちひしがれ何もかも失くした日本を励ましたのは、白黒映画とラジオから聞こえる音楽であった。映画は勧善懲悪ものが主流の娯楽の王様であったが、音楽は権威ある作詞作曲家の曲を基礎訓練をしっかりした歌手が歌うという時代であった。
主に流行りのアメリカの音楽を歌う、ウエスタンカーニバルに、「ロカビリー三人男」の一人として歌手の平尾昌晃は登場した。そうした中、洋楽の影響を受けた音楽、「星は何でも知っている」がラジオから流れてきて、大きな衝撃を受けた。何しろ音楽が明るいのである。これまでの日本音楽と全く違う新鮮な驚きがあった。このヒットした曲を受けて、平尾は自ら作詞作曲した、「ミヨチャン」を発表した。その後平尾は歌手というよりも、作曲家としての才能を発揮していくようになる。
後に結核で長野で療養することになるが、自身の作った「おもいで」が札幌から火がついたが、布施明に歌わすことになり、平尾は事実上歌い手を引退する。その後は、五木ひろしや小柳ルミ子、それにアグネスチャンやアン・ルイスや梓みちよなどに曲を提供する。山口洋子とのゴールデンコンビは、多くのヒット曲を生んだ。
平尾昌晃の曲は、日本的な堅苦しさがなく、明るく開けた形に囚われないが、それでいて日本的な情緒を失わない曲が多い。日本に一つの時代、全く流れの異なる多くの楽曲を提供した、平尾昌晃氏の死を悼む。
コメント (2)
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