自民党は普天間基地の代替えを理由に、辺野古に新基地を建設する。国と県が対立する極めて難しい問題である。こんな”むずかしい”問題は井上ひさし風に考えてみると良い。
〇むずかしいことは、やさしく
この巨大基地は戦争への道具である。近隣諸国を威圧するばかりでなく、アメリカが望むところへなら何時でも何でも兵力も武器も運ぶことが迅速にできる代物である。それを国家の安全保障のために必要とするというのが、安倍晋三とその一派の主張である。一方沖縄県民と野党は、県民の負担になり近隣諸国を威圧するという、”むずかしい”問題である。
これを”やさし”く考えれば、戦争を希望するかどうかである。戦争を武力の威圧と均衡で可能になるのか。あるいは、武力の削減、放棄に至るまで縮小することが平和になるのかである。
アメリカの銃社会を見れば判る通り、銃社会は全ての人が銃を持つことで安全が保たれるというのは、危うい力の均衡社会である。全ての人が銃を持たない日本のような社会が、安全な社会ということができる。
銃口から平和は生まれないことを人類は学んできた。近隣諸国への威圧基地は平和につながらない。しかも日本のお金で建設して、アメリカ軍に提供するのは”やさしく”考えれば、不要であるばかりか、環境破壊でもあるし、2兆円を超えると言われる建設費は大きな負担にもなる。戦争は人殺しである。国家のための人殺しである。相手国も同じことを思っている。人殺しが目的の、辺野古新基地は不要である。
〇やさしいことは、深く
近隣諸国を威圧する軍事施設を日本が建設要のへの基地は誰がなぜ必要としているのか。先ずはアメリカであろう。何よりも軍事産業が口を開けて待っている。公共事業は食いあぶれがない。
それと日本政府が、基地負担と引き換えにばら撒く多額の沖縄振興と名付けたお金を当てにしている、沖縄地元の業者たちは地域振興と大喜びである。巨大基地建設は10年もかかりそうである。お金が際限なく湧いてくる。
基地建設に賛成の沖縄県民は一人もいない。賛成している人は、基地の意味ではなく建設という、公共事業がやってくることで沖縄が豊かになると思っているからに他ならない。現実に県民の30%は基地に依存していると言われている。
しかし、振興策で新たな産業が起きるわけでもなく、沖縄に根差した事業が展開されるのでもない。所詮は、口止め料に過ぎない。
〇深いことは、愉快に!
孫崎亨氏の言葉通り、日本の首相はアメリカに媚びれば長期政権となる。安倍晋三が懸命にアメリカに、というよりトランプの御機嫌伺いに懸命である。日本はすっかりアメリカの隷属国家に変身してしまった。日本はアメリカの50番目の州のようだという日本の評論家に対し、「アメリカの州はもっと自治権がありますよ」とアメリア側からの反論である。
トランプは大統領就任間もないころ側近に、「お前知ってるか、日本はアメリカ軍にたんまり金出しているんだぜ」と言ったのである。アメリカのほとんどの人は、駐留アメリカ軍に世界の半分を超える金額を日本が払っていることを全く知らない。ましてや辺野古基地を日本が建設することも、ジュゴンが棲息することも知らない。つまり、辺野古新基地の主となるアメリカは、何で騒いでいるのか知っていないのである。バッカみたい。