そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

北朝鮮の暗い闇、地上の楽園への帰国事業

2019-06-16 | 朝鮮半島

「北朝鮮への”帰国事業”知られざる外交戦・60年後の告白」を見たが、今頃になってというのが実感である。半月前の、「北朝鮮”帰国事業”60年後の証言」に政治的背景などにを加えて番組である。
地上の楽園として在日韓国人が家族ともども、9万3340人が送られた。この中には6800人の日本人妻など日本人も入っている。1959年に始まったこの事業は、東西冷戦の真っただ中で、隠ぺいされた国情を知らされることなく帰国したひとたちは、過酷な現実が待っていた。上陸した港に歓迎度インされた人たちは痩せていて、住まわされた住宅は過酷なものであった。
資本主義に育てられた、帰国者たちはほとんどが監視対象となった。地上の楽園とは程遠いものであった。
友人がこの帰国事業の事務局をやっていたが、その悔悟の本を出版している。
日本も在日韓国人も北朝鮮の実情を知らなかったし、北朝鮮国民も日本の実情も知らなった。港についた帰国者の衣服など裕福な姿に驚いた。民族的差別を受けた哀れな人たちはいなかった。
北朝鮮はソビエトなどの支援を受けて、社会主義の優位性を宣伝するいい機会ととらえた。国交のない北朝鮮への在日朝鮮人の帰国は、双方が赤十字国際委員会の人道的支援の下に帰国事業は行われた。しかし、双方で取り交わした、人権や財産の保護など守られることはなかった。
一旦途絶えた事業も、総連と民団の競い合いの中で一層の政治的側面が強くなって再開される。北朝鮮が経済的な行き詰まりを、核とミサイル開発による瀬戸際外交を展開することになる。

いずれにしても、国家の犠牲になったのは一般国民である。とりわけ朝鮮半島は、幾度にも及ぶ大国の軍靴に踏みつぶされた歴史がある。太平洋戦争後は、もっと大きな東西冷戦の世界的な流れの中で、朝鮮戦争を経て南北に分断された。原爆こそ投下されなかったが、日本が受けた空襲の10倍の爆弾が投下され、国土は荒れ放題になった。大国は言うに及ばず、南北朝鮮国家でさえ、人々の人権を真剣に考えてこなかった。国家分断の負の側面である。
こうした朝鮮半島歴史の直接的加害者でもある日本は、多くの国民が朝鮮人を嫌うのである。
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