日曜深夜というべきか、月曜になってすぐの時間帯に読売系のNNNドキュメントという番組がある。基本的には、系列の地方の民法が制作したものである。この番組は、一貫して原発事故のその後を追っている。
墓の下にいる、今日の読売の創始者というべき、原発を政治的に強引に始めた正力松太郎は、ほぞをかんでいるに違いない。
今回は広島テレビの制作である。放射能の除染についてであるが、マーシャル諸島と福島浪江町から広島に逃れて農業をやっている人を追ったものである。
物理学者に言わせると除染など無理、せいぜい移染がいいところという。つまり放射のは、移すのがせいぜいというのである。
日本は唯一の被爆国とされているが、1950年代のアメリカの核実験は、67回もここで行われている。
マーシャル群島に大量の放射性物質を降らせた。住民たちは核実験によって被爆させられた。中でも最大のビキニの実験で、大量の灰を浴びたロンゲラップ島はすべての人が移住させられている。
もう除染が終わったからと、27年目に帰島が許された。誰も帰らない。移住も直ちにではなく、住民の多くは白血病、がん、流死産などのよって苦しみ、多くの住民が亡くなられている。
アメリカは日本などの漁船に大量の放射能(死の灰)を降らせた。その後彼らは急転換し、ブラボー計画と銘打って平和利用を言い出した。それに乗った正力や中曽根であるが、こうした放射能による被害は、国策として不都合であるため、東西冷戦を背景に封印させられた。
広島の娘のところで畑を耕す、浪江町から逃れた農民。10年経つと福島に戻るつもりでいる。自らが耕した自慢の田畑をうつろな目で見る。
客観的にみてかなり難しい状況にある。彼らは口にしない。ロンゲラップの住民も、福島の農民も心にあるものは変わらない「帰りたい・帰れない」。
ロンゲラップでは、放射能はかなり少なくなってはいる。不遜の死者を輩出して、27年も経つと誰も戻らないのである。
時の権力者たちは一様に、自らに不都合な事実は認めない努力を惜しまない。当時のアメリカでも、今の日本でも同じである。
それでも原発が必要と主張する人たちがいる。