自民党元幹事長の野中広務氏が亡くなった。強面の歯に衣着せぬ厳しい発言から敵も少なくない。野中氏の敵は政界にしかいない。彼に私的な敵はほとんどいない。
私は高校出るまで京都で育った。野中氏は京都府の園部町という小さな町の町議会議員を(3期)務め、その後園部町長を(2期)務め、京都府議会議員を(3期)務め、社会共産与党の蜷川府政の下で野党として対峙したが、その後の林田知事の元で府知事として6年務めたのち、国政に進出衆議院議員になった。すでに野中は58歳であった。たたき上げ政治家の典型である。野中はいわゆる出身者でもあった。
小泉純一郎の政治改革に、「非業の政治」と真っ向から反対し、抵抗勢力と言われながら敗北し、政界を引退した。自民党にいながらも、現場を知らない政治家には妥協することがなかった。小泉純一郎をはじめ小沢一郎や麻生太郎や安倍晋三など下積みを知らない政治家とは、常に一線を引いていた。
自らの戦争体験から、二度と戦争はしてはならないと訴え続けた、護憲派であった。やがて戦争を知らない政治家が権力を握るときに、戦争を平気で口にするようになると警告をしている。
義理堅く恩義を受けた人には尽くし、自らの立場を必ず底辺から見る。国家公安委員長の時に、長野サリン事件の誤認逮捕には真っ先に行き、河野氏に謝辞している。因みに、長野県警はいまだに謝罪はしていない。
野中を慕うものは少なくはない。パフォーマンスが苦手な愚直な政治家であった。上にへつらい下を見下す政治家ばかりになった現在、党派を越えて共感者の多かった野中の死を悼む。
それで奥様もこちらの方なのですね。
野中さんが国会議員として、どんなことをしておられたのか、全然知らないまま私は、
只の自民党議員(権力者)くらいに思っていましたので、
野中さんが良いことを言われるようになったのは、
議員を辞められてからの事かと思っていましたが、
もともと立派な方だったのですね。
(何年も前、野中さんが「ちちんぷい」という毎日放送のテレビ番組で話されたことを、ブログに引用した記憶があります。)