東アジアの発展に、「八紘一宇」という考えでやれと言った、歴史も皇国史観も全く知らない無知な女優上がりの議員がいたが、言い訳はさらに哀れを極めた。近代史を知らないまま大人になったのである。
成長の家の創始者である谷口雅春を信奉する稲田朋美の場合は、この女優上がりの間抜けとは少々異なるが、国会の場で教育勅語を評価して見せた。稲田の場合は確信犯である。「教育勅語の核の部分はとり戻すべきだ」と発言している。親や友を大切にしろなどという、教育勅語は12の徳目から成り立っている。明治天皇の教育に対する考えを示したものとされている。実際は軍人で時の首相の山縣有朋が制作したものである。
1948年の衆院決議で、日本国憲法第98条に従い教育勅語を否定した。教育勅語は憲法違反と決議したのである。国の公式見解といえる。
教育勅語の基盤になっているのは、おとぎ話の世界を広げた皇国史観である。親や友を敬い付き合うようにという徳目を並べたその延長上に結論として、一旦急があれば国に命を捧げよというのである。
「戦争は人間にとって霊魂の進化」という、稲田朋美の主張に合致する。教育勅語で国民は、『臣民』としてしか存在せず、国民の人権などどこにもない。
そもそも、国が戦闘状態にあるか、あるいは侵略されたとか、国が判断する基準は時の政権がやるのである。国家間の紛争とは、双方が正義を振りかざすのである。双方が自衛のための戦争と主張する。時代劇のような、”悪”は現代の国際関係に存在しない。
第二次大戦以後、いや第一世界大戦以後に武力で解決した紛争などはない。日本の場合は、国民が320万人もの死者を出し、国土を焼き尽くされて終結した。これが連合軍の解決といえるわけがない。第一次世界大戦で敗北したドイツは、国の復興を強力にナショナリズムで訴えたヒトラーが登場し、再度大戦を引き起こした。
イラクに攻め入ったブッシュは、武力で何も解決することができなかったばかりか、その後の救い難いほどの中東の混乱を生むことになっている。お国のために戦ったアメリカ兵は、イラクにとっては単なる暴力的な侵略者でしかない。それを最も理解していた兵士たちは、帰国後PDSDになって多くの自殺者を輩出している。
国家に武力的に奉じるとは、侵略者になる事である。教育勅語は、皇国史観を基盤に国に、天皇に奉仕よという教えを説くものである。戦争は、国家を盾にした人殺しである。日本国憲法はこれを禁じている。
成長の家の創始者である谷口雅春を信奉する稲田朋美の場合は、この女優上がりの間抜けとは少々異なるが、国会の場で教育勅語を評価して見せた。稲田の場合は確信犯である。「教育勅語の核の部分はとり戻すべきだ」と発言している。親や友を大切にしろなどという、教育勅語は12の徳目から成り立っている。明治天皇の教育に対する考えを示したものとされている。実際は軍人で時の首相の山縣有朋が制作したものである。
1948年の衆院決議で、日本国憲法第98条に従い教育勅語を否定した。教育勅語は憲法違反と決議したのである。国の公式見解といえる。
教育勅語の基盤になっているのは、おとぎ話の世界を広げた皇国史観である。親や友を敬い付き合うようにという徳目を並べたその延長上に結論として、一旦急があれば国に命を捧げよというのである。
「戦争は人間にとって霊魂の進化」という、稲田朋美の主張に合致する。教育勅語で国民は、『臣民』としてしか存在せず、国民の人権などどこにもない。
そもそも、国が戦闘状態にあるか、あるいは侵略されたとか、国が判断する基準は時の政権がやるのである。国家間の紛争とは、双方が正義を振りかざすのである。双方が自衛のための戦争と主張する。時代劇のような、”悪”は現代の国際関係に存在しない。
第二次大戦以後、いや第一世界大戦以後に武力で解決した紛争などはない。日本の場合は、国民が320万人もの死者を出し、国土を焼き尽くされて終結した。これが連合軍の解決といえるわけがない。第一次世界大戦で敗北したドイツは、国の復興を強力にナショナリズムで訴えたヒトラーが登場し、再度大戦を引き起こした。
イラクに攻め入ったブッシュは、武力で何も解決することができなかったばかりか、その後の救い難いほどの中東の混乱を生むことになっている。お国のために戦ったアメリカ兵は、イラクにとっては単なる暴力的な侵略者でしかない。それを最も理解していた兵士たちは、帰国後PDSDになって多くの自殺者を輩出している。
国家に武力的に奉じるとは、侵略者になる事である。教育勅語は、皇国史観を基盤に国に、天皇に奉仕よという教えを説くものである。戦争は、国家を盾にした人殺しである。日本国憲法はこれを禁じている。
彼我の正体実態を知らぬ思わぬ愚鈍アベシンゾやイナダなどが権力握っている日本は、ただただ衰退か崩壊の道進んでいるように見えてならない。