福島原発事故を検証する報告書が4通揃った。民間の独立検証委員会と、国会の事故調査委員会と政府の調査委員会である。もう一通は、自己保全に終始する東電の言い訳検証であるが、これは無視する。
これほど多くのの検証がなされたのは珍しいが、視点がたくさんあることは評価していいだろう。
昨日この3委員会の主だったところが、NHKに出演していた。この3者による検証は、それほど大きな違いはなかったとみてよい。
原子力発電所の事故については、それぞれが全電源の喪失を想定していなかったことや、現場の対応の指揮系統がまるでなされていなかった。何を優先するかが決められず、ひたすら現場は混乱した。事故を想定していなかったことによるためと手厳しい。こうしたことはあらゆる場面で起きていた。
驚かされたのが、住民避難である。非難した20%もの住民が、原発事故を知らなかった。70%の避難住民が、4回以上避難場所を代えている。
介護者が移動の最中か直後に、60人以上死亡している。避難範囲は10キロ以上は想定していなかった。何度も避難範囲を少しづづ引き伸ばした。ましてや一月以上の長期の移住は考えもしなかった。
飯館村には、事故から1か月経ってから避難命令を出している。事故当初のSPEEDIの解析があれば、飯館への避難民の移動もなかったものと思える。
規制機関と電力会社のもたれ合いは、信じられないところまで及んでいた。
これまでの検証で、電力会社が見直す機会が少なくとも23回もあったことが判った。それらの機会に、検討はことごとく先送りしてきた。
「国民に不安を陥れるような論議をすると、寝た子を起こすことになる」
寝た子は放射のの中にいても黙っていれば誰も気が付かない。こうした信じられない論理で、規制する側もされる側も安全神話の枠に組み込まれていった。
政府事故調の柳田氏の言葉が今後を語っている。「規制やルールをいくら強くしてもそれらではできない。検証する人物をつくりある意味での文化を創り出さなければ、原発事故は防ぐことができない」