太平洋戦争で、沖縄は非人道的な民間人をも巻き込んだ、唯一の地上戦で20万人亡くなった。
日本国民を皇民と呼び、天皇は親でありその赤子と呼び、神の国日本を何の疑いもなく守り抜くことを教えこまれ虜囚の辱めを受けないために、多くの民間人が集団自決までした。北海道から満州を経て、沖縄で戦い亡くなった兵士はほぼ1万人いる。僅かに生き残った兵士を取材をした経験から、この戦いがいかに悲惨であったかを、いかに馬鹿げていたかを知っているつもりである。
だが、陸軍はこの悲惨な戦いを参考に、本土決戦を画策していた。
沖縄は毎年6月23日、「慰霊の日」を迎える。アメリカの本土上陸を遅らせるためと戦った牛島中将の自決した日である。現在の感覚で、無籍んだとは言いたくはないが、日本兵が皇民を守ったとはとてもじゃないが評価できない。
大田 昌秀元知事は、ことある度に「沖縄は捨て石にされた」と繰り返し述べている。
沖縄県内には今なお不発弾が1880トン程度埋残っているとされるが、私が聞いた生き残った砲兵の話では、三割は着弾しても爆発しなかった述べていた。
沖縄戦で亡くなった人すべての人の名を銘じた、糸満市摩文仁に「平和の礎(へいわのいしじ)」を太田は建立した。慰霊の日には、多くの人が親族や知人の名を探し手を合わせ供養する。沖縄は太田の意を受けて今年も追加され、 刻銘者総数は24万2046人となった。
自公政権は、新たな巨大米軍基地を辺野古の珊瑚の上に建設し、奄美まで含めた沖縄を巨大なミサイル基地の環を建設し、膨大な米軍基地を抱え、沖縄は再び捨て石にされる。