小泉純一郎は後に労働者にとって、最も過酷な状況を生み出す素地を作った首相である。自衛隊を海外派遣させた首相でもある。
5年半もの長きにわたる政権の間、彼は一貫して「私の政権では消費
増税をやらない」と言い続けていた。確かに彼の政権下では、消費税はそのままであった。
その一方で、消費増税は必要ないとは一言もなかった。しかし。郵政民営化や金融機関や自治体の統合巨大化によって、労働者を労働基準法の庇護から外し、企業利益を優先させた。むしろ、消費税の増税の基盤を、小泉は作っていたとみるべきである。形として、小泉は消費増税はやらなかった。彼は政権公約を守ったということになる。
翻って、現政権の安倍晋三の悲願と言える、憲法9条の改定である。とりあえず彼は、集団的自衛権行使の容認という形でそれに近づけようとしている。
その必要性の説明の中で、「海外で戦闘に加わるということはあり得ません」と見えを切る。安倍が政治家としての誠実さを見せることがあれば、政権下では海外で戦闘に加わることはないであろう。これとて楽観的な、仮の話である。
集団的自衛権を繰り返す、世界の戦闘や紛争を見ていると、安倍の
言い分は空手形であることは、はっきりしている。
そもそも、必要最低限の行為などと言う、固定概念は存在しない。必要最低限と自らが規定しても、敵の出方で変動する相対的な意味しかない。戦闘行為はもちろん、敵国に軍隊を送り込み、住人を殺戮することさえ必要最低限でもありうる。イスラエルのように。
徴兵制についても同じである。安倍は次の誰かの政権で、徴兵制導入をやることになっても、私は約束を守ったということになろう。その時には、扉を開けた自慢はするだろう。
集団的自衛権行使を容認しないことが、自衛隊を持つ日本が唯一戦闘に巻き込まれない方法である。集団的自衛権の容認は、安倍晋三が日本が他国のために国外で戦闘行為をいずれやることになる、素地を作っているのである。