そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

今やアメリカはTPPなどどうでもいいのだ

2014-10-14 | 政治と金

TPP交渉が姿かたちが見えないまま、何やら行き詰りながらも形を見せそうで見えてこない。聞こえてくるのは、タフな交渉だとか、真剣な話し合いだとか、最終段階だとか形容詞で飾られた言葉ばかりである。中身がない。

そもそも、TPPはオバマが景気浮揚・雇用創出を掲げて打ち出した、多国間協議の貿易交渉である。アメリカの内政問題の対策として、オバマは打ち出したに過ぎない。根回しもなく。
関税撤廃を求める多国籍企業が、積極的である以外の動きなど元々ないのである。
そのアメリカであるが、失業率も比較的安定し、何よりも中国に依存した経済が順調で景気が良くなってしまった。何かと問題が国内外に噴出して、止まらないTPPなど関心がなくなってしまった。
2期目後半にはどの大統領も陥る、レイムダックと言われるほとんど機能しない時期にオバマはいる。オバマの場合は特別で、二期目になった途端に、この状況に落ちっいっている。何の外交成果もなく、政治的には対峙する中国とは、経済的な結びつきが強く政治的動きは何も取れない。

現実を知った、アメリカの農家は日本の農家を応援してい140926る。(左は東京新聞の記事である)その農業の基盤となるのが地方であるが、安倍政権がTPPを進めれば、今国会で大見え切った「地方の創生」など一気に吹っ飛んでしまう。主要5品目とはそうした意味を持っているのである。
安倍はできるだけこの交渉は、長引かせる方が得策だと思っている。おあつらえ向きに、自民党でTPP担当にした風に吹かれると、そのまま動いてくれる西川公也を大臣に据えることができた。
財界には今にも妥結するようなしぐさを見せ、農業団体などにはタフな交渉をしているふりを見せることができるからである。
然しその中身はとなると、アメリカがすでに交渉に秋波を送っているのが実態である。中間選挙後に、TPPはなくなるかそれに近い形で終わることになるかもしれない。この騒ぎの中で、農業の実態と重要性を知ってもらう機会になったのがせめてもの救いであろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

産経新聞など擁護したくはないが…

2014-10-13 | 政治と金

韓国の朴槿恵大統領の名誉を毀損したとして、産経新聞の前ソウル支局長加藤達也氏が在宅起訴されたが、産経新聞社は10日、韓国最高検察庁の金鎮太検事総長とソウル中央地検の金秀南検事正に宛てた抗議文をそれぞれ提出した。11日付の同紙が報じた。
抗議文で、朴氏の動静に関する前支局長の記事は名誉毀損に当たらないと非難し、前支局長に対する出国禁止処分についても報道の自由への侵害だとして処分の撤回を求めたという。
この問題は、私の大嫌いな右翼の産経新聞が、セオル号事件の時最中に、男性と密会していたとする記事を書いたことに始まる。韓国に摘発されて、意気消沈しているかと思いきや、10日の一面に長文の反論記事を載せた。
産経新聞などを擁護するつもりはないが、ネット上の韓国紙を読むと、これは論点が違うように思えてきた。
中央日報も東亜日報も聯合ニュースもどれも、保守嫌韓新聞として産経新聞と位置付けたうえで、朴槿恵大統領を誹謗中傷しているというのである。
事実関係についての反論はほとんどない。唯一今日になって、聯合ニュースが、支局長の起訴に関して「韓国最大野党・新政治民主連合の朴智元、元文化観光部長官は13日、不必要な行為だったと批判した。」という記事を掲載した程度である。

セオル号事件で明らかになったように、冷戦時代の西側諸国は北朝鮮の問題もあってか、韓国を持ち上げ評価し過ぎた感がある。この国は、先進国というレベルまで到達していないのではないか。任期を終えた大統領とその親族が、ことごとく投獄される国家である。
感情を前面に出しての、言論の応酬はいただけない。
韓国は事実関係を確認する作業を後回しにして、名誉棄損問題を持ち出している。論調があまりにも、感情的すぎるのである。
このままでは、大統領自身が国内メディアのさらし者になるだけである。
産経新聞も根拠となった取材の内容が、どうも揺らいでいるようである。朝日を叩いた直後だけに、天に唾することになりかねない。

産経新聞のような下品な新聞が息を吹き返すのも困るが、事実に即した、正当な論議を重ねることが求められる。でなければ、彼らはこの論議の延長線上に慰安婦問題や、竹島問題を持ってくるからである。

<本ブログはプロバイダーの都合で、今月中に閉じることになります。何処か各場所を探します>

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何処かで見た日米ガイドライン、そうです日米構造協議にそっくり

2014-10-10 | 政治と金

アメリカの後方支援を世界中のどこでも引き受けますと請け負った、日米ガイドラインの中間報告であるが、これはかつて見たものに酷似している。日米構造会議である。4年前に、覚えていますか?という記事を本ブログで書いた。
プラザ合意が発端で、ドル安円高へと導かれ下地ができる。アメリカが自国の貿易赤字解消のために、日本が国内で経済成長につなPhotoがらない国内投資をやれというのである。
働き過ぎだ労働時間が多いと、公務員は週休二日制を強制した。大型店舗を作らせ、小売店街をシャッター街に変貌させた。宇野や海部や宮澤と言った弱腰総理を、パパブッシュは電話一本で指示し、ブッシュホンとまで言われたものである。その後日本はバブル崩壊を経て、深刻な財政赤字を抱き込むことになり、急速に経済成長が鈍り今日に至るのである。
日本がアメリカの属国と言われる所以である。その後、アメリカ従属主義の小泉至っては、アメリカの指示通り郵政の民営化までやってのけた。

余談であるが、中国嫌いの人たちは、いずれ中国にもバブルがはじけて経済停滞が起きると期待する向きがある。中国は、アメリカと構造協議などと言う不条理を突きつけられることはなく、プラザ合意などと言う通貨の暴落(本当は高騰である)協議など応じるわけないから、中国はバブル崩壊は起きないと、高を括っているのである。

日米構造協議がアメリカに経済的不都合を解消するためのものであるのに対して、日米ガイドラインは軍事的不都合を日本に押し付けるものであるといえる。その構図は全く同じものと言える。
沖縄の基地問題あるいは日米地協定にしても同じであるが、この先日本はどれほどアメリカに貢献するつもりなのだろう。かつてのように経済的な甘い汁を吸うこともできなくなった。日米ガイドラインは、アメリカの軍事的衰退を保管させようとする、アメリカの目論みに他ならない。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遂にここまで来た日米ガイドライン

2014-10-09 | 政治と金

日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の見直しに向けた中間報告が公表された。これまで自民党政府であっても、憲法の条文を傍らに見ながら、自民党なりの専守防衛を意識したものであった。
それは戦闘状態が起きての対応という形で、どのように防衛するかという仮想敵国を特定してまでのもので、専守防衛のギリギリのガイドラインであったと言える。

集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、武器輸出を可能にした安Photo 倍政権が打ち出したガイドラインは、「平時から有事まで切れ目ない形で自衛隊と米軍が協力する」とある。
これは、戦争や紛争が無くても日本はアメリカに協力する、という内容のものである。これまで、日本が攻撃された有事(戦闘状態のことである)、周辺事態(朝鮮半島などのことを指す)、そして平時(何もない時)に分けていたが、そんなの関係ないというのである。
これで世界で最も戦闘的で、武力紛争を際限なく繰り返すアメリカに、どんな時でも、地球のどこへでも日本は出向いて、協力できる基準を作ったことになる。
平和憲法はどこにある!
憲法九条では、「・・・
戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 」とある。
武力による威嚇どころか、戦争そのものを平時でも行えるというのである。
これまでは、アフガニスタンやイラクに派兵する時には、特別措置法を作ってアメリカ支援の体制を作ってきた。それも不要になる。
巧妙なのは、今回中間報告を出しておきながら、集団的自衛権行使に関する項目については、枠組みが違うとしている。公明党との与党協議に配慮した、「国民の権利が根底から覆された」とする文言のため、武力によらない後方支援に限ると説明する。まるで幼児に注射する時に、「痛くないよー」というウソと同じである。
当初は国民・世論の反発を考慮し、武力によらないとしているだけである。先ずは世界中に展開できる実績作りになる。

このガイドラインは戦後日本が平和国家として築きあげてきた信用を、一気に失墜させるものである。国際社会で得てきた実績や信用を反故にしてまで、あるいは自国の最高法規の憲法を否定してまで、アメリカに協力しなければならない理由は、何も説明されることがない。

武力が紛争を解決するのではなく、拡大させることを、図らずもアメリカは証明してくれている。21世紀になっても、変わらない紛争のマッチポンプ国家アメリカに追従するのではなく、日本は憲法を遵守し、戦闘を志向する愚かな行為は直ちにやめるべきである。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小農・家族経営が世界を救う

2014-10-08 | 政治と金

ある酪農家に言われたことが忘れられない。小頭数で立派な経営をされている方でしたが、人を見ては毒ずくことがで、ほかの農家には好かれていなかった。
その父さんが、「農家は足し算と引き算をやっていればいい。頭に乗って掛け算や割り算やるからダメになる」というのである。
掛け算や割り算をやるというのは、機械や施設を利用して沢山牛を飼うということである
足し算をやっていればいいというのは、自分の手で丁寧に積み上げていくことである。農業は工業や商業と生産形態で明らかに異なるのは、基本的には太陽の恵みを商品にするからである。一気に大量に生産できるわけではない。天の恵みも、地の力も限られている。
農家が経営を大きくするのは、自らの意思でやることはほとんどなく、周辺産業に促されてやるだけである。
規模拡大すると、農家単位の生産量は増えて様に思われる。しかし、農業の基本である、農地当りの生産量が増えることはない。農薬などで一時増えたように見えても、不健全な食料生産であったり、農地が枯渇したり環境に負荷がかかることになる。

今年は国連が決めた、国際家族農業年である。家族農業は、
・世界の食料安全保障に結びつく。
・環境や生物多様性の保護に寄与する。
・地域に様々な雇用を創出する。
輸出されている食料は、足りているから国外に売っているのではない。大型農業・企業型農業が、それこそ掛け算が上手で安価に売り込んでいるのである。こうした形態こそが、多くの農家を干上がらせることになるのである。
先進国の農民を商工業に向けさせ、農業を衰退させる。国際価格を暴落させ、途上国の農民から農業を奪うことになり、国民の食料生産を鈍らせる。
70億人の人類のうち11億人が飢えている。その8割は農民か元農民である。国連は、それぞれの国が家族型農業推進を図ることで、飢餓をなくし食料安全保障に寄与すると指摘している。
家族型農業は、伝統的な農法であることがほとんどで、小規模となり地域の人も多くなる。地域を安定させ紛争の芽を摘むことになる。こうしたことを念頭に、国連は世界各国に家族型農業指針の政策をするよう促している。

翻って、日本農業政策は意味不明の”攻める”農業をするため、大規模化することだけをめざしている。日本の農政は世界と全く逆方向へと舵を切っている。人類に欠かせない食糧を生産するということを忘れ、目先の金の動きに翻弄された政策である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロウハニのほほえみ外交は成功するか

2014-10-07 | 政治と金

私がイラン旅行しているときに、最も国内で話題になっていたのが、ロウハニ大統領の国連演説である。内容については多くは当地では知るこPhoto とができなかった。それは日本に戻ってからも変わらなかった。報道がほとんどなかったのである。
ロウハニ大統領は、前任のアフマディネジャドのような強硬政策はとらず、現実的政策にシフトしている。国内では、旧守派というべきイスラム原理主義者たちから距離を置く政策となっている。
何度か本ブログで紹介しましたが、国民は開放的になっています。若い国民の多くは、ロウハニの政策に好意的と思われます。

ロウハニは国連で、「戦争を挑発する勢力に追随することがなければ、われわれは見解の相違点に対処する枠組みを構築することができる。この目的達成のためには、対等な立場、相互の尊重、国際法の原則が重視されるべきだ。米国の主張が一貫していることを期待する」と述べた。アメリカへのエールである。
これを受けて、チェーニー副大統領は早速国連の記者会見で、国交のないイランに対して、イスラム国へ共同歩調を取るよう提案した。
ロウハニの思惑は、経済制裁と核開発へのアメリカなどの譲歩を取り たいのである。そのため、跳梁跋扈するイPhoto_2スラム国の対応を利用したのである。
これまで対立していた、サウジアラビアとも話し合い、英国とも協議す るのである。
イスラム国を抑え込むには、中東の大国イランの協力が03欠かせない。ロウハニはそれを巧みに引き出して、経済制裁の緩和と核開発への容認を、取り付けようとしているのである。
アメリカはこれまで通り、目先の戦術のだけで味方を作る。敵の敵のためには、フセインやビン・ラディンさえ支援するのである。それをロウハニは利用して核開発をするのである。平和利用などは、言い訳に過ぎない。
ここではみ出るのがイスラエルである。イスラエルは、イランのいかなる核開発も認めない。オバマがどう説得するか見ものである。
この一連の外交は、国内外問題としてイスラム国の恐怖に怯える欧米諸国のジレンマを利用した、ロウハニの見事な立ち回りと言える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本国平和憲法ノーベル平和賞受賞なるか

2014-10-06 | ノーベル賞

ノーベル平和賞が発表されるのを前に、予想を行っているノルウェーの研究所は、ことしの受賞候補として戦争の放棄などをうたった憲法9条を持ち続ける日本国民など5つの候補を挙げた。
タリバンに銃撃され瀕死の重傷を負って、奇跡的に回復したパキスタンの少女、マララさんも候補に挙がっているが、日本の平和憲法がこの研Photo究所では候補のトップに挙げた。
発端となった神奈川の主婦の活動に賛同し、日本憲法平和賞候補にと本ブログでも早速取り上げた。
半信半疑のこともあったが、早速推薦者に名を連ねさせていただいた。
戦後しばらくは義務教育の中で、憲法の条文を教科書に載せていた。最近は日本は戦争放棄しています程度で、条文の詳細については、生徒たちに知らしていない。やや古い文章であるため、解りにくい面もあるかもしれないが、それは解説すれば済むことである。
世界は、日本は戦争放棄している程度のことは知っている人もいるだろうが、とりわけ前文や九条の高い平和理念は知る人は少ない。
戦争放棄をうたった日本国憲法が、ノーベル平和賞を受賞すればだれが受け取るになるのだろう。少なくとも、現首相であってはならない。
と思うが、伯父さんの佐藤栄作が密約で塗り固めた虚偽の非核三原則で、ノーベル平和賞を受け取っているのだから、ブラックユーモアでこれもありかと思う。それとも、中国のように国内問題だと理由を付けて、受賞を事実上拒否させるような対抗策でも考えるのだろうか?
オバマが核兵器廃絶の虚言で、ノーベル平和賞を受賞したのだから、この賞の権威も失墜している。(特にオバマからは剥奪吸うべきである)
それでも、受賞すれば朗報である。10日が待ち遠しい。

左に<ペルシャであった家族たち>アップしています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イランから世界を見る その3 経済制裁

2014-10-05 | イラン

イランで一番困ったのは、食べ物でもなく暑さでもないく、通貨の扱いであった。通貨のリアルは、核開発問題に関連した経済制裁で、暴騰(実際は暴落であるが)している。絵葉書の切手が1万5000リアルであった。円換算するには、およそ260分の一であるから60円ほどなのであるが、1万5000リアルの切手の購入は大変である。
ことほど左様に、現地通貨の購入はゼロが数個並ぶ、得体のしれない札束を大量に用意しなければならない。旅行先で、小さなお金のコインを土産代わりにポケットに入れて帰るのであるが、ほとんど存在価値が無く出回っていない。要求してもだれもくれない。デノミを検討しているとのことである。

イランと宿命的に対立しているのが、イスラエルである。イランは、中東に起こる全ても問題は、イスラエルの建国にあると信じて疑わない。
イランの核開発疑惑問題は、ローハニ大統領になってかKen_0738なり柔軟になり、色々なものが解放されるようになった。
然しイスラエルの空軍は、イランの核関連施設の空爆がいつでも可能なように構えていると言われている。左の写真は、車窓から撮ったものであるが、かなりの範囲で点在していた。円周の大きさからの推測では半径50キロ程度であろうか、100台は越えるであろう高射砲が空に向かっていた。
かなり緊迫感があったが、黙って写真を撮った。

イランは砂漠でありながらも、木のない山がかなりある。砂漠に消えるような川が少なからずある。収穫期寸前の小麦とコメそれにトウモロPhoto コシが、灌漑によって青々としていた。
右のような灌漑施設を数多く見た。上に飛ばさなくても、小さな用水路が無数に設けられて、おコメが作られてもいた。コメは長粒種であり、パサパサしていた。香辛料になれた食事の中で、ありがたいコメであった。
その他、トマトやキュウリなどの水を多く必要とする野菜も豊富に作られていた。

町行く人はほとんど携帯を持っていた。そのすべてがスマートフォンである。誰もが街角で手元の画面をいじっている。日本の都会の光景と同じである。ただスマートフォンは、画面がかなり小さいものが多く、掌に入るものであった。
観光地では、大型のモバイルで写真を撮る人も少なくなかった。

同じく経済制裁を受けているロシアとイランが、ローハニになって連携を深めるようになった。経済制裁は、複雑にPhoto_2絡み合った国際情勢では、意味が薄くなってきている。経済制裁は、かつてのような効果がない。イランは食糧もエネルギーも、自賄いするレベルが日本より格段に高い。
日本はアメリカの尻馬に乗って、せっかく共同開発した石油プラントも放棄することになった。それでいて、シーレーンの軍事的意味が高くなったというのである。
イランの経済制裁に加わっていなければ、そんな危険などないのである。同盟国が危険を薄くするのではなく、濃くする典型である。

左のフォトアルバムに<ペルシャであった家族たち>アップしました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まるで茶番劇の集団的自衛権の民主党質問

2014-10-04 | 政治と金

ようやく国会で、憲法を無視する集団的自衛権行使容認に対する質問、論争が開始した。民主党の辻本清美議員と枝野幸男議員が質問に立った。辻本の質問は、自らの主張を傍らに置いた過去の経緯を細かくついたつもりであったようだが、軽くいなされた感がある。
枝野民主党幹事長の質問は、立場上集団的自衛権の党としての見解が曖昧なままの極めて空虚のものとなり、論議はちゃんとしか言いようのないものと言える。
安倍首相が執拗に、3要件を満たせば戦争に参加することにならないと説明するのであるが、その根拠は言葉の域を脱していない。
枝野は党内事情を配慮し、シーレーン防衛は必要ですよという前提から始めている。個別的自衛権は海外でも行使できるという見解を披歴しての質問は、野党としての意味がほとんどない。
明白な危険が迫っているとする根拠を枝野は迫ったが、「明白な危険は、明白だることだ」と禅問答の終わっている。枝野は引き出せなかった。結局、時の政府の見解でどうにもなるのだと、捨て台詞で終わってしまっている。
安倍首相は、「イラク戦争やアフガン戦争のような戦闘には今後も参加しない。大規模な空爆や敵地に攻め入るような行為は、憲法9条の下で許される必要最小限の自衛措置を越える」から、戦闘行為はできないというのである。この根拠も全く示していない。これまでできなかったから、これからもできないというのである。
所信表明演説では、全く触れることがなかった。都合の悪いことや耳触りがよくないことは、触れないようにしている。首相は丁寧に説明すると言っていたが、とても丁寧とは言えない。

そもそも、必要最小限の実力行使は、相手国にとって、とても都合が良い。必要最小限のレベルを越えれば、その戦闘に勝利できるからである。そんな必要最小限の武力行為は、戦場では存在しない。ありえないのである。
別の言い方をすれば、必要最小限のレベルは何時でも際限なく高くなるのである。必要最小限は戦闘の途中で放棄するということを意味する。戦場ではそんなことはありえない。
集団的自衛権行使そのものが、憲法で禁じている行為である。枝野の質問は茶番である。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イランから世界を見るその2 庶民の変化

2014-10-03 | イラン

中東に対する見識はそれなりに持っていると自認していたが、多くのことが今回の旅行で否定されることになった。その一つが戒律が厳しい、シーア派のイメージである。良くも悪くもイランは宗教国であろうと思っていたのであるが、極めて若い国家の現実には驚かされた。
イスファハンのイマーム広場には、四半世紀前のイスラム革命の直後 は、礼拝に10万人を超える人たちが集まり、町中に溢れていた。
今回金曜日に訪れることができたが、異教徒の私たちをもモスクにPhoto招き入れてくれた。時間制限はあったものの、写真撮影も許された。
左の写真はその時撮ったものであるが、皆がお祈りをしている時も、黙々とスマホでゲームを楽しんでいる若者がいたのである。これには少々驚かされた。(写真はそれぞれクリックし拡大写真をご覧ください)
礼拝する人たちは、この日は僅か3000人ほどであった。宗教の位置が、確実に低下している。それは、全身を覆う女性のチャドが少なくなって、スカーフが多くなっていることでも覗われる。しかも、かなりカラフルでお洒落になっている。

サウジアラビアでは、女性が車を運転することは禁じられ、youtubePhoto に女性が自分の運転を投稿し問題にもなっていた。イランではかなりの女性ドライバーを見た。イラン人は車が好きである。都市間が長いために、車は欠かせない。
右の写真を見ていただければわかると思うが、慣れた手つきで女性が堂々と運転している。

入国前は、カメラを人に向けて撮る時には了解を貰うように厳重に注Photo_2 意された。特に女性は絶対にとってはダメだと言われた。
ウソである。ほとんどの人が喜んでカメラに納まってくれた。むしろ、非映像の歴史が長かったために、庶民にはカメラは縁遠いものだったのだろう。左の司祭は喜ぶどころか、Ⅴサインすらして手を振ってくれた。
ホメイニ師が戻ってき、イスラム革命直後なら考えられない現実である。

さすがにお酒はご法度であった。これには少々参った。灼熱の砂漠を旅した、夕食の膳にビールがないのである。
深夜にまで、人々が街に繰り出している。夜になっても飲み屋がないので、家族連れである。あるいは仲の良いお友達や家族同士で街に繰り出す。そのため、夕食は通常でも8時ころにはじまるPhoto_3。おしゃべりと買い物であるが、家族単位の行動は日本なども見習うべきかもしれない。右の写真は、イマーム広場の夜の9時ころである。お菓子など持ち寄って何か食べている。

イランは若い国家である。ネットなどで、若者は世界の事情を知っている。若者は現実的になっている。イスラムの戒律は次第に希薄になっている。その一方で、ペルシャ人としての誇りはとても強いものが感じられた。その一方でアラブ人は仕事しない、歴史がないなどと蔑視する。イスラムになって僅か1500年しか経っていない。ペルシャ人の歴史から見るとほんの最近のことだと言い切る。
中東を石油とイスラム戒律だけで判断するべき時代は、少なくともイランでは遠のいているように思える。

フォトアルバム<ペルシャであった女性たち>アップしてます。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇沢弘文の死を悼む

2014-10-02 | 政治と金

宇沢弘文が亡くなった。既に86才の高齢であった。海外ではノーベル01 経済学賞の候補にあがったり、日本では文化勲章を受けるなど学会では、きっとそれなりに評価が高かったのであろう。
しかし、彼の発言や学究は日本の社会、就中政界では全く相手にされていない現実もある。彼の本はそれなりに売れてはいたが、社会的発言の評価は無きに等しいといって良かった。日本の病根がここにある。

私は経済学が嫌いである。現実社会や生活などを加案することなく、物価指数やGDPなどと、金銭的評価が優先されて商品の実態や質が評価されないからである。
早い話が、経済評価は何はともあれ売れればいいのである。農薬がたっぷりかかった食料や、環境を破壊する農業生産形態などお構いないのである。その場合は、様々な法規制を加えることになるが、経済学はこうした全体像と、時間軸の評価がほとんどないから、経済学は好きになれない。

宇沢弘文を知ったのは、岩波新書の超ロングセラーになった「自動車の社会的費用」である。経済学に人の生活、環境問題、さらには時間軸を導入したことで経済の考え方を一変させた。私にはそう思えた。
マルクスがこれまでの経済学は社会を説明しただけであると断じた。今も経済学者の姿勢は同じである。そうした意味でも、宇沢の発言は社会の矛盾を突くものであった。
水俣病問題や公害について警鐘を鳴らし、やがて来る環境問題をも予見するものであった。
為政者たちにとっては、厄介な経済学である。経済成長以外の注文を、たくさん用意しなければならないからである。

然し、今世紀になって東日本大震災に続く、福島原発事故へと彼の提言は続くはずであった。ところが、電力会社はもちろんのこと政府官僚それに学者も一体になって、目先の利益と私欲に走ったのである。
日本社会は、宇沢の提言・警告を評価していれば原子力の発電所は選択しなかったはずである。原発は安いなどと口が裂けても言えないはずである。
宇沢が健在であれば、原発の社会的費用を警告したはずである。従来の経済学は、彼のような提言などすることがなかった。
権力にすり寄る学者の数が増える中で、宇沢のような学者の存在は大きかった。ご冥福を祈りたい。

左に、<ペルシャであった女性たち>アップしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イランから世界を見るその1

2014-10-01 | イラン

イランに行ってきました。シルクロードをはじめとして、中東に興味があり若いころから何度も周辺を訪ねていました。本ブログでも、かなり中東にPhoto 関することを書いているのはそうしたことからです。
ローハニ大統領になって一応の安定期に入っていると判断し、写真が趣味のツァーに加わって、イランを訪ねた。2001年にアメリカのブッシュ大統領が、悪の枢軸としてイラク、イラン、北朝鮮と名指ししたこともあり、多くの日本人はこれらの国と同列に並べ、テロ国家と考える現実がある。識別できないと言った方が正しいだろう。
しかし、イランはペルシャ人のほぼ単一民族国家で、古くはペルシャ、波斯とも呼ばれていた長い歴史を持つ。因みに、イランとはアーリア人の国という意味もある。国家の大きさは、長い歴史で繰り返される戦争によってかなり変動があり、小さくなったが場所としてはほとんど変わることがない。
人口はこの50年でほぼ倍増し75000万人であり、40才以下が5000万人と言われている。極めて若い国で、私が見た限りでは農業Photo_2 にかなり力入れていて、砂漠の国にしては思ったより灌漑も進んでいて、小麦やトウモロコシや数多くの野菜それに果実に畜産も盛んであるように見受けられた。
何よりも、砂漠に点在する町の周辺に、新たな住宅が建設されているのが目立った。
政治的スローガンはほとんど見受けられなかった。ただ、どこにでもイランイスラム革命の最高の指導者のホメイネ師と、現在の最高指導者のハメネイ師の肖像が並べられていた。
11歳の小学生の教科書を見せてもらったが、見開きページにはこの両師の写真があった。ただ以前の中国や現在の北朝鮮のように、絶対的指導者としてあがめられているわけではなかった。公の場所に掲げられている肖像画の手入れは悪く、剥がれていたりくすんでいたりするものも少なくなかった。
イラン人は自動車好きと、通訳が言うとおり、街に溢れていた。途上国に見られる、傷ついたりへこんだものは少なく、道路状況は急激な車の増加もついていっていない。ヨーロッパ車と韓国車が目立ったが、多くは国産車であった。日本車はほとんど見られず、バイクにホンダとカワサキが見られた程度である。
第二次世界大戦で、ドイツと日本を支援したイランは、その後も日本と石油開発などで友好関係にあったが、中国と韓国にとって代わられた感がある。ドイツが依然と友好関係にあることを思えば、日本のアメリカ追従外交はこの国では失敗している言える。
経済制裁はイランにとって面倒なことであろうが、功を奏していると言えない。隣国のロシアと中国それにインドがとって代わったに過ぎない。
最も驚いたのは、坊さんの国から王政に戻ることを多くの人が望んでいたことである。モスクの礼拝もかつての半分にもいかない現実を見て、納得した。パーレビーを待っているというのである。若い国には柔軟性がある。
女性は目を見張るような美人が多く、まつ毛が長く端正な顔立ちで、やたらとシャッターを切った。

左のフォトアルバムに<ペルシャであった女性たち>アップしました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羅臼港

春誓い羅臼港