そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

宇沢弘文の死を悼む

2014-10-02 | 政治と金

宇沢弘文が亡くなった。既に86才の高齢であった。海外ではノーベル01 経済学賞の候補にあがったり、日本では文化勲章を受けるなど学会では、きっとそれなりに評価が高かったのであろう。
しかし、彼の発言や学究は日本の社会、就中政界では全く相手にされていない現実もある。彼の本はそれなりに売れてはいたが、社会的発言の評価は無きに等しいといって良かった。日本の病根がここにある。

私は経済学が嫌いである。現実社会や生活などを加案することなく、物価指数やGDPなどと、金銭的評価が優先されて商品の実態や質が評価されないからである。
早い話が、経済評価は何はともあれ売れればいいのである。農薬がたっぷりかかった食料や、環境を破壊する農業生産形態などお構いないのである。その場合は、様々な法規制を加えることになるが、経済学はこうした全体像と、時間軸の評価がほとんどないから、経済学は好きになれない。

宇沢弘文を知ったのは、岩波新書の超ロングセラーになった「自動車の社会的費用」である。経済学に人の生活、環境問題、さらには時間軸を導入したことで経済の考え方を一変させた。私にはそう思えた。
マルクスがこれまでの経済学は社会を説明しただけであると断じた。今も経済学者の姿勢は同じである。そうした意味でも、宇沢の発言は社会の矛盾を突くものであった。
水俣病問題や公害について警鐘を鳴らし、やがて来る環境問題をも予見するものであった。
為政者たちにとっては、厄介な経済学である。経済成長以外の注文を、たくさん用意しなければならないからである。

然し、今世紀になって東日本大震災に続く、福島原発事故へと彼の提言は続くはずであった。ところが、電力会社はもちろんのこと政府官僚それに学者も一体になって、目先の利益と私欲に走ったのである。
日本社会は、宇沢の提言・警告を評価していれば原子力の発電所は選択しなかったはずである。原発は安いなどと口が裂けても言えないはずである。
宇沢が健在であれば、原発の社会的費用を警告したはずである。従来の経済学は、彼のような提言などすることがなかった。
権力にすり寄る学者の数が増える中で、宇沢のような学者の存在は大きかった。ご冥福を祈りたい。

左に、<ペルシャであった女性たち>アップしました。

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