イランで一番困ったのは、食べ物でもなく暑さでもないく、通貨の扱いであった。通貨のリアルは、核開発問題に関連した経済制裁で、暴騰(実際は暴落であるが)している。絵葉書の切手が1万5000リアルであった。円換算するには、およそ260分の一であるから60円ほどなのであるが、1万5000リアルの切手の購入は大変である。
ことほど左様に、現地通貨の購入はゼロが数個並ぶ、得体のしれない札束を大量に用意しなければならない。旅行先で、小さなお金のコインを土産代わりにポケットに入れて帰るのであるが、ほとんど存在価値が無く出回っていない。要求してもだれもくれない。デノミを検討しているとのことである。
イランと宿命的に対立しているのが、イスラエルである。イランは、中東に起こる全ても問題は、イスラエルの建国にあると信じて疑わない。
イランの核開発疑惑問題は、ローハニ大統領になってかなり柔軟になり、色々なものが解放されるようになった。
然しイスラエルの空軍は、イランの核関連施設の空爆がいつでも可能なように構えていると言われている。左の写真は、車窓から撮ったものであるが、かなりの範囲で点在していた。円周の大きさからの推測では半径50キロ程度であろうか、100台は越えるであろう高射砲が空に向かっていた。
かなり緊迫感があったが、黙って写真を撮った。
イランは砂漠でありながらも、木のない山がかなりある。砂漠に消えるような川が少なからずある。収穫期寸前の小麦とコメそれにトウモロ
コシが、灌漑によって青々としていた。
右のような灌漑施設を数多く見た。上に飛ばさなくても、小さな用水路が無数に設けられて、おコメが作られてもいた。コメは長粒種であり、パサパサしていた。香辛料になれた食事の中で、ありがたいコメであった。
その他、トマトやキュウリなどの水を多く必要とする野菜も豊富に作られていた。
町行く人はほとんど携帯を持っていた。そのすべてがスマートフォンである。誰もが街角で手元の画面をいじっている。日本の都会の光景と同じである。ただスマートフォンは、画面がかなり小さいものが多く、掌に入るものであった。
観光地では、大型のモバイルで写真を撮る人も少なくなかった。
同じく経済制裁を受けているロシアとイランが、ローハニになって連携を深めるようになった。経済制裁は、複雑に絡み合った国際情勢では、意味が薄くなってきている。経済制裁は、かつてのような効果がない。イランは食糧もエネルギーも、自賄いするレベルが日本より格段に高い。
日本はアメリカの尻馬に乗って、せっかく共同開発した石油プラントも放棄することになった。それでいて、シーレーンの軍事的意味が高くなったというのである。
イランの経済制裁に加わっていなければ、そんな危険などないのである。同盟国が危険を薄くするのではなく、濃くする典型である。
左のフォトアルバムに<ペルシャであった家族たち>アップしました。