日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

きのう母の日

2006-05-15 22:49:24 | 私の雑感あれこれ
昨日まで近所のスーパーの入り口のところにある花屋さんがカーネーションでいっぱいだったのに、今日は半額セールの札がついていました。宴のあとでしょうか(笑い)。
我が家にも、立派な花がふたつ届きました。
子供は3人。
ひとりは電話のプレゼントだったのでしょうか。忙しくしている娘とちょっとの長電話。
自分が何にワクワクするかという話になって、彼女の話を聞きながら、自分のことを振り返ったりしていました。

お母さんだって、ワクワクしたとき…、それは長く人生やっていますから、いろいろあるけれど、その電話の時は、子供が生まれる前の自分を思っていました。
4月に夫の就職の任地に赴任。ベランダから北アルプスが見える集合住宅の4階の3DK。
ゆっくり出勤の夫を送り出す若い妻の私。二人には充分広い室内に真新しい白いテーブル。辺りに高層住宅がないところの最上階だったから、部屋から見える景色の殆どは空。
夕方までの時間、原稿用紙に向かったり、絵を描いたり本を読んだりできる。
「わー素敵!なんて恵まれているのだろう」と、思ったのもつかの間、コスモスの季節にあなたが生まれて、忙しいお母さん生活が始まったわけ…。
それから転勤、転職、共働きの日々(その間も下手な油絵は描いていたし、テニスやったり・・・、実りにはならなくても一意専心ってわけではなかったね)。
子育ての手ごたえと仕事を続けてきたことから学べた社会は、それはそれでずっしりと実りはあったのだけれど、子供が巣立って、今また、こうしてブログに文章をつづり、水彩を描いている自分を省みると、根っこのところは、性懲りもなく変わらないのだなとも思ったりします(苦笑)。

「母の日」を書こうとして、「母をやってきた自分を考えた日」になってしまいました。
焦点ピンぼけの文章、ですね。





コメント (3)
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見たい映画2本。

2006-05-15 17:33:43 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
まだ開けていないプレゼントの包みをふたつ持っている気分です。
まぁ、少しはあらすじを知っているのだけれど。
そのひとつは「ナイロビの蜂」
2006年のアカデミー賞にノミネートされているらしいですね。
もうひとつは今朝の朝日新聞天声人語※2に紹介されていた「グッドナイト&グッドラック」。
あのアメリカのテレビドラマ「ER」の小児科医のロス先生(ジョージ―・クルーニー)が監督だというから、嬉しさ2割増。
熱心で一本筋の通った小児科医だけれど女性遍歴が多い役どころのロス先生が監督したと知っていたけれど、今朝の天声人語の紙面紹介で、アメリカの戦後のレッドパージの嵐が吹き荒れたときの模様を描いた社会問題がテーマの映画と知り、興味津々です。
いずれも、公開中。

そういえば、以前見たことある映画「マジェスティク」※1も、映画人の中に吹き荒れたレッドパージの話でした。弾圧によって良心を見失うことがあった時代、密告が横行する中、弾圧に負けまいとする主人公を視聴者が応援したところでエンドになっていたように覚えています。

※1 「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」と同じ、フランク・ダラボン監督です。
※2 クリックしてみることができる天声人語は毎日更新されるので、
  ここに引用します。時間がおありでしたら、読んでみてください。

【天声人語】2006年05月15日(月曜日)付

 「もしお昼ご飯を食べている最中なら、いまラジオを切ったほうがよいかもしれません」

 第二次世界大戦でドイツの敗北が目前に迫る45年4月、米CBS放送のエド・マロー記者はそう言って、連合軍が解放したばかりのドイツ中部のブッヘンバルト強制収容所のリポートを始めた。

 収容されていた2万人は飢えと結核で1日200人の割合で死んでいた。庭には骨と皮だけの遺体の山があった。生きている者も死相が現れている。

 「私はここで見、聞いたことのほんの一部を伝えたに過ぎない。そのほとんどについて、私は語る言葉を知らない」(田草川弘『ニュースキャスター』、中公新書)。ジャーナリズム史上に残るこのリポートが放送されたのは、実はマローが収容所を訪れた3日後だ。他社の記者が一刻を争って衝撃的なニュースを世界に伝える中、彼は自分の見たものを伝える言葉を吟味し続けて、抑制された文章にまとめ上げた。

 マローといえば、50年代前半、米国で反共ヒステリーが荒れ狂った「赤狩り」の時代に、その立役者だったマッカーシー議員の虚言を暴いて、政治の流れを変えたことで有名だ。日本で公開が始まった米映画「グッドナイト&グッドラック」もその時のマローが主人公である。

 彼の原点には、強制収容所のリポートで見せた言葉の持つ力とその限界に対する鋭い感覚があったと思う。マローは収容所で生き残った人の言葉を伝えている。「ここについて書くには最低2年はいなければなりません。でも2年もいたら、何も書きたくなくなりますよ」



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再度、教育基本法改正の話

2006-05-15 07:06:05 | 社会問題
「国会の期間延長して、教育基本法改正案を通したい」云々と、言われているのですね。
今朝のニュースが耳に入ってきました。
自民党も民主党も「郷土を愛せよ」「国を愛せよ」の表現は微妙に異なっていても、流れは同じように聞こえました。
両党とも教育基本法改正を肯定しているのですね。
立派な背広姿のおじさんたちに、「…愛せよ」「…愛せよ」と、それがいいのだと言われると、「へー、『愛す』というのは自発的感情のはずだと思うのに…」と、偏屈おばさんは思ってしまいます。
自信がないから「…愛せよ」「…愛せよ」と、追い掛け回すのは、「ストーカーさん」ではないでしょうか(苦笑)。
今、国は発行済み国債800兆円とか。そして毎年国政運営のために、発行済み国債の利払いをしながら、さらに国債の追加発行をしている状態。
それって、借金返済のため生活費が不足して、また借金をせざるを得なくなる状態ではありませんか。
あのイラクへの自衛隊派遣にしても、結局アメリカの言うところの核兵器が見つからなかったのだけれど、お世話になっている国への義理立てみたいにして派遣して、なぁなぁになってしまっています。
こんな状態の国を「…愛せよ」「…愛せよ」と、法改正までして、強いることはないのではないでしょうか。
現在の教育基本法は立派で不足はないように思っています。
不適正な天下りや、癒着を生んでいる入札談合をきちんと取り締まれる公正明大な行政、国民にもきちんと説明できる国際貢献が展開されていると、きっと国民は国を愛するし、誇りに思うのではないでしょうか。
いいえ、実はそんなに強制されなくても、生まれ育ったところはかけがいのないものです。自分の国を誇りに思ってもいるのです。
その誇りに思うことは「愛せよ」と、強制されることではなく、さらに、よい制度を持った国であること、だと思うのですが。
やっぱり、「…愛せよ」「…愛せよ」と、国民を追い掛け回したいものなのでしょうか。
コメント (4)
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