久しぶり(そうでもないかな)に映画の話。
1970年製作のアメリカ映画「いちご白書」
私はリアルタイムで映画館で見ている世代。自分の大学でも立て看板があちこちにあり、活動家の人たちがマイク片手に、ガナリ立てているのが日常茶飯事だったから、映画の印象は、「ああ、アメリカの学生運動の話」とぼんやり記憶に残っているだけだった。
むしろ、後年フォークソングの「いちご白書をもう一度」を、長い間「私のお気に入り」にして、車の中で口ずさんできたから、「いちご白書」という言葉は私の中では、歌のほうでのお馴染みさんではあった。
で、映画の話。
やっぱりアメリカの大学の学生運動の話。
主人公はボート部の部員で、特に活動家ではないのだけれど、学長室がある建物がバリケード封鎖状態のキャンパス内で、興味半分で首を突っ込んでいくお話です。
1989年のベルリンの壁崩壊で世界はすっかり変わってしまったけれど、1970年頃はマルクス主義が活動家の支柱になっているところがあって、チェ・ゲバラや毛沢東のポスターが占拠された建物のあちこちに見られたりで、懐かしさを覚えました。
この感覚は、あの頃に学生生活を送った「ダンカイのセダイ」のノスタルジーですよね。
その後、毛沢東がどんな人物であったか、支配者毛沢東の中国で国民は何を強いられていたかを書いた書物(「ワイルドスワン」「マォ」「毛沢東の私生活」など)が出版され、ボツボツと明らかになってきているから、あの頃の学生達が信奉していたマルクスが提唱した社会とは、いったい何だったのかと、そう思ったり。
とにかく月日は流れました。
世の中そんなに容易にいいほうには向かわないかもしれないけれど、右往左往しながらも、進んでいるとは思っています。
そう、・・・前に。
今回、見てわかったこと。
それはタイトルの由来です。
なぜこの題名なのかと、長らく思っていたのです。
学長がこの学生運動を捉えて発言したところから来ているとのこと。
「君たちは赤(共産主義)、といっても、その赤はいちごの赤だと」
確かに。
主義主張ではなく、学生運動のムードが映画のテーマでしたから。
1970年製作のアメリカ映画「いちご白書」
私はリアルタイムで映画館で見ている世代。自分の大学でも立て看板があちこちにあり、活動家の人たちがマイク片手に、ガナリ立てているのが日常茶飯事だったから、映画の印象は、「ああ、アメリカの学生運動の話」とぼんやり記憶に残っているだけだった。
むしろ、後年フォークソングの「いちご白書をもう一度」を、長い間「私のお気に入り」にして、車の中で口ずさんできたから、「いちご白書」という言葉は私の中では、歌のほうでのお馴染みさんではあった。
で、映画の話。
やっぱりアメリカの大学の学生運動の話。
主人公はボート部の部員で、特に活動家ではないのだけれど、学長室がある建物がバリケード封鎖状態のキャンパス内で、興味半分で首を突っ込んでいくお話です。
1989年のベルリンの壁崩壊で世界はすっかり変わってしまったけれど、1970年頃はマルクス主義が活動家の支柱になっているところがあって、チェ・ゲバラや毛沢東のポスターが占拠された建物のあちこちに見られたりで、懐かしさを覚えました。
この感覚は、あの頃に学生生活を送った「ダンカイのセダイ」のノスタルジーですよね。
その後、毛沢東がどんな人物であったか、支配者毛沢東の中国で国民は何を強いられていたかを書いた書物(「ワイルドスワン」「マォ」「毛沢東の私生活」など)が出版され、ボツボツと明らかになってきているから、あの頃の学生達が信奉していたマルクスが提唱した社会とは、いったい何だったのかと、そう思ったり。
とにかく月日は流れました。
世の中そんなに容易にいいほうには向かわないかもしれないけれど、右往左往しながらも、進んでいるとは思っています。
そう、・・・前に。
今回、見てわかったこと。
それはタイトルの由来です。
なぜこの題名なのかと、長らく思っていたのです。
学長がこの学生運動を捉えて発言したところから来ているとのこと。
「君たちは赤(共産主義)、といっても、その赤はいちごの赤だと」
確かに。
主義主張ではなく、学生運動のムードが映画のテーマでしたから。