細々とですが、素人絵を描いています。
絵を描いている素人仲間もいます。そして、絵を専門としている人もおられます。
次々と案内状が回ってきて、絵画展ラッシュです。
大都市近郊に住んでいますが、毎日都心部に通っているので、見ようと思えばいつでも展覧会めぐりも可能なのですが、思いついたときに出向く程度で、そんなに熱心に通うこともありません。
でも、あそこで見たあの絵、あの美術館所蔵のあの絵、そして、あの中華屋さんにかかっているあの絵、と、見たときの気持ちを語ることが出来る絵は、ココロに何枚も持っています。それらの絵は一貫しているわけでありません。見たときの私の心理状況に呼応しているのでしょうね。
そして、自分が描く絵は、いまいちのような気がして、そう自信はありません。
今は水彩を描いています。
描いているとき、ひとりで描く対象とにらめっこしているとき、相手と会話している気分になるから不思議です。
当たり前、…ですよね。
自分が描こうと選択した相手は、好きになった相手だから、それは風景であっても、台所の野菜であっても、いいな、素敵だねと、私は褒め称えながら、筆を運んでいるのです。
勿論、気に入り方にもいろいろだから、いつも、対象はいい返事を返してくれるわけではありませんけれど。
ま、でも、筆を手に持って、描く対象に向かい、しばらく後に、ここにしかない一枚になることが、いいな、と、自分では思っています。
どれも、ささやかな一枚ですが。
そんなわけで、来月1ヶ月、仲間4人で1ヶ月、豊田市の喫茶店に絵をかけてもらうことになりました。
私達が、案内状を出せばコーヒーを飲みにくるお客さんも増えるし…、というのは、お店側の事情でしょう。
お近くなら、見ていただけるのですが…。
「私のスケッチ帖」の中の、何枚かです。
ブログでも見ることが出来ますので、よろしかったらブログででも。
右上は子供が小さかった頃に描いた何枚かの油絵の一枚です。
絵を描いている素人仲間もいます。そして、絵を専門としている人もおられます。
次々と案内状が回ってきて、絵画展ラッシュです。
大都市近郊に住んでいますが、毎日都心部に通っているので、見ようと思えばいつでも展覧会めぐりも可能なのですが、思いついたときに出向く程度で、そんなに熱心に通うこともありません。
でも、あそこで見たあの絵、あの美術館所蔵のあの絵、そして、あの中華屋さんにかかっているあの絵、と、見たときの気持ちを語ることが出来る絵は、ココロに何枚も持っています。それらの絵は一貫しているわけでありません。見たときの私の心理状況に呼応しているのでしょうね。
そして、自分が描く絵は、いまいちのような気がして、そう自信はありません。
今は水彩を描いています。
描いているとき、ひとりで描く対象とにらめっこしているとき、相手と会話している気分になるから不思議です。
当たり前、…ですよね。
自分が描こうと選択した相手は、好きになった相手だから、それは風景であっても、台所の野菜であっても、いいな、素敵だねと、私は褒め称えながら、筆を運んでいるのです。
勿論、気に入り方にもいろいろだから、いつも、対象はいい返事を返してくれるわけではありませんけれど。
ま、でも、筆を手に持って、描く対象に向かい、しばらく後に、ここにしかない一枚になることが、いいな、と、自分では思っています。
どれも、ささやかな一枚ですが。
そんなわけで、来月1ヶ月、仲間4人で1ヶ月、豊田市の喫茶店に絵をかけてもらうことになりました。
私達が、案内状を出せばコーヒーを飲みにくるお客さんも増えるし…、というのは、お店側の事情でしょう。
お近くなら、見ていただけるのですが…。
「私のスケッチ帖」の中の、何枚かです。
ブログでも見ることが出来ますので、よろしかったらブログででも。
右上は子供が小さかった頃に描いた何枚かの油絵の一枚です。