今、教育基本法の改正が話題になっています。
現行の教育基本法のどこが不足か不明です。
等しく良質の教育が受けられる機会を保証することを大切なことと思っている者です。
7,8年前中国を団体旅行をしたことがあります。
その時中国人ガイドさんの話
「中国は広いので、農村部には学校に行っていない子供がいます。経済的な理由です。日本でも、学校に行かない子供が増えつつあるとのことですが、理由が違うんです」
旅行中のバスの中、さらっと、聞き流してしまうような話なのだけれど、文字を覚え、計算できるようになる機会を与えられないこともを想像してしまう。
3年前のスペイン旅行で
ガイドさんの話
「1970年代までは、この国の義務教育は4年間だったのです」
そういえば、スペインは長らくフランコ将軍の軍事政権だったこともあり、国民の教育は低い位置付けだったのかと思ったり…。
さて、この国
内容理解できない子供がいるから教室が荒れ、いじめが発生し、不登校の子供が増える。よって、みんなに理解できるように、教育内容の大幅削減を実施(例えば円周率が3)。その結果かどうかは判らないけれど、最近は国際レベルが下がったといって、今度は教科書の内容の再見直しをするのですよね。
こんな右往左往している教育政策担当側が、今度は「教育基本法」を変更したいという。
少年犯罪が増えたのは、「教育基本法」が時代遅れになったからとでも言いたいのでしょうか。
先年に行なった
【いじめが増え、不登校が増加したことを改善するために⇒教育内容の平易にする】
と同類の安普請のように思えて仕方がありません。
どうして、「愛する」なんていう、内心に属する感情、自発的に生れる感情を指図しようとするのでしょうか。
「愛していない」のではありません。自分の内心を強制されたくないのです。
現在の学校教育、若者教育が問題を抱えているとしたら、
少人数学級とか、補助教員を置くとか、公教育でも十二分に夢が実現できるよう初等教育・中等教育に力を尽くす部分が残っているのに、残念です。
そういえば、2000円札を作った首相がいましたね。一時話題になったかもしれないけれど、話題のための代物でした。
小泉首相の任期最期の置き土産になるのでしょうか。
内心の自由を拘束する懸念がある法が出来上がるのは避けたいものです。
現行の教育基本法のどこが不足か不明です。
等しく良質の教育が受けられる機会を保証することを大切なことと思っている者です。
7,8年前中国を団体旅行をしたことがあります。
その時中国人ガイドさんの話
「中国は広いので、農村部には学校に行っていない子供がいます。経済的な理由です。日本でも、学校に行かない子供が増えつつあるとのことですが、理由が違うんです」
旅行中のバスの中、さらっと、聞き流してしまうような話なのだけれど、文字を覚え、計算できるようになる機会を与えられないこともを想像してしまう。
3年前のスペイン旅行で
ガイドさんの話
「1970年代までは、この国の義務教育は4年間だったのです」
そういえば、スペインは長らくフランコ将軍の軍事政権だったこともあり、国民の教育は低い位置付けだったのかと思ったり…。
さて、この国
内容理解できない子供がいるから教室が荒れ、いじめが発生し、不登校の子供が増える。よって、みんなに理解できるように、教育内容の大幅削減を実施(例えば円周率が3)。その結果かどうかは判らないけれど、最近は国際レベルが下がったといって、今度は教科書の内容の再見直しをするのですよね。
こんな右往左往している教育政策担当側が、今度は「教育基本法」を変更したいという。
少年犯罪が増えたのは、「教育基本法」が時代遅れになったからとでも言いたいのでしょうか。
先年に行なった
【いじめが増え、不登校が増加したことを改善するために⇒教育内容の平易にする】
と同類の安普請のように思えて仕方がありません。
どうして、「愛する」なんていう、内心に属する感情、自発的に生れる感情を指図しようとするのでしょうか。
「愛していない」のではありません。自分の内心を強制されたくないのです。
現在の学校教育、若者教育が問題を抱えているとしたら、
少人数学級とか、補助教員を置くとか、公教育でも十二分に夢が実現できるよう初等教育・中等教育に力を尽くす部分が残っているのに、残念です。
そういえば、2000円札を作った首相がいましたね。一時話題になったかもしれないけれど、話題のための代物でした。
小泉首相の任期最期の置き土産になるのでしょうか。
内心の自由を拘束する懸念がある法が出来上がるのは避けたいものです。