昨晩の話題から。
家人が持ち出した話をかいつまんでいうと、
①大阪府は、学校で国家を歌うときには、教師の起立を義務付ける。
②守らないものは処分する。
③現在、起立をしない教師38名は把握しているから、やめさせる。
大阪維新の会は①②の法案を5月議会に提案する、らしい。
その代表を務める橋元知事は、③まで言い切った、らしい。
ネットサーフィンをしていると、視野には入るけれど、自分の地域ではないし、言ってみれば他藩のこと、傍観の境地です。・・・司馬さんから藩幕政治のイロハの解説してもらったところだから、こんな解釈をしがちです。失敬!
家人は、私の見解のいい加減さに聞き捨てならないと、怒ります。
さて、私の見解。
実は私、初めて社会人になった職場(昭和40年代後半)で、日の丸の是非をめぐる議論の洗礼を受けています。音楽の教師が音楽の時間に「君が代」を教えるのか、「仰げは尊し」を教師が子供地教えるものか、とか。…おこがましくても、教えないと自然発生的に、「仰げば尊し」を覚えられるはずがないけど、そんな境地だったのです。
繰り返される会議の結論は、壇上の日の丸は認めない、でした。けれども、校長の独断で「教育委員会」のお達しが採択され、卒業式当日は真新しい日の丸がありました。
その後、父母としても、子育て学びの会のある幼稚園で、日の丸の是非が取り上げられたことがありました。若いお母さんたちの集まりでした。スポーツ競技で日の丸が揚がると嬉しかった、と体験を語ってくださった記憶もあります。
以上は、個人的体験です。
で、私、3人の子供の入学、卒業式を数多く体験してきました。
職員会議体験もあって、ずっと、君が代は歌わずに通しました。
但し、「起立しない」までは、できませんでした。
娘の高校卒式で、全員起立の号令の中、着席し続ける生徒が数人いて、かれらの心中を思いやったり、そんな程度で、この問題に対応してきました。
なにも考えず、ではないのです。
小学校、中学校、高校とありますから、入学式、卒業式で×2、こども3人だから×3
着席し続けることはできなかったけれど、18回歌わずに来た現行犯です。
でも、小泉政権のころだったか、安部政権のころか、自分の中で、終わりました。
もう、こだわるのをよそう、と。
もう、大学卒業して長い年月です。その間ヨーロッパ史の本や、映画などいろんなところから、どの国にも平和主義一本槍でなかったこと、を学んできました。
そう、フランスの国歌も結構戦闘的な内容だとか。
日本という国は、江戸期270年は藩幕体制ですから、国は藩のことであり、国の旗は六文銭、とか丸に十字などといった藩の旗のことでしょう。
幕末から明治にかけて、開国を迫られ、外国との交渉をする中で、この国の国家元首は誰か、国旗は何か、という場面で、日の丸を引っ張り出してきたのではないでしょうか。
太平洋戦争では、この日の丸は国威の象徴として使われました。そのことを反省して、上述の行動をとる流れは私たちの国にありました。わたしもその流れの一員でした。
でも、それから60余年。進駐軍から敗戦国に日の丸の掲揚が認められたのは49年だそうです。
それからは日の丸は、世界中へ国際貢献するときの物資に付けられた旗印でもありました。
60年、戦に使われずに平和の派遣にマーキングしてきたのです。
戦闘、侵略を繰り返してきた世界史をみても、世界のリーダー国にキレイな国旗はなかなか見当たりません。60年もそれなりに貢献してきたのだから、だから、「自分的には」、諸々含めて、日の丸という国旗を掲げることに、「目くじらたてる」はやめたのです。
少し前までは、国歌はあり、だけど、歌詞がねー、の思いもありましたが、こっちも、100パーセントの完全はありえないし、分水嶺があるとしたら、OKの側になったのです。
それが、現在の、このテーマに対する姿勢です。
さて、「大阪が」という問題でしたね。
これについては、今、司馬遼太郎さんカブレのなかにあるものですから、「他藩のこと」
という距離感があります。
そして、「権力による思想信条の強制はまかりならん」というスタンスで、私ののらりくらりがままならない、と思われるのでしたら、こう応えましょう。
私は、信じています。
若いリーダーが勢いついでに提案した、「38人の職を奪う」という生存権をおぼつかなくさせる先走りは、必ず頓挫すると。
ルールができる前に採用した人たちを、新しいルールで「退職」という厳罰処分するのは、余りにも後だしジャンケンみたいで、理に適わないと思います。
そして、今、自分が大阪府の教師だったら、起立することに、抵抗はないです。このことも、真剣に怒る気持ちになれない理由になるのでしょう。
自分たちの地域の問題である「浜岡原発3号機の再稼動」発言のときは、怒ったけれどね。摂津の国までは、ちと遠い。
私のちっぽけなアタマの興味は、どちらかというと国策の原子力ムラ界隈にあります。
家人が持ち出した話をかいつまんでいうと、
①大阪府は、学校で国家を歌うときには、教師の起立を義務付ける。
②守らないものは処分する。
③現在、起立をしない教師38名は把握しているから、やめさせる。
大阪維新の会は①②の法案を5月議会に提案する、らしい。
その代表を務める橋元知事は、③まで言い切った、らしい。
ネットサーフィンをしていると、視野には入るけれど、自分の地域ではないし、言ってみれば他藩のこと、傍観の境地です。・・・司馬さんから藩幕政治のイロハの解説してもらったところだから、こんな解釈をしがちです。失敬!
家人は、私の見解のいい加減さに聞き捨てならないと、怒ります。
さて、私の見解。
実は私、初めて社会人になった職場(昭和40年代後半)で、日の丸の是非をめぐる議論の洗礼を受けています。音楽の教師が音楽の時間に「君が代」を教えるのか、「仰げは尊し」を教師が子供地教えるものか、とか。…おこがましくても、教えないと自然発生的に、「仰げば尊し」を覚えられるはずがないけど、そんな境地だったのです。
繰り返される会議の結論は、壇上の日の丸は認めない、でした。けれども、校長の独断で「教育委員会」のお達しが採択され、卒業式当日は真新しい日の丸がありました。
その後、父母としても、子育て学びの会のある幼稚園で、日の丸の是非が取り上げられたことがありました。若いお母さんたちの集まりでした。スポーツ競技で日の丸が揚がると嬉しかった、と体験を語ってくださった記憶もあります。
以上は、個人的体験です。
で、私、3人の子供の入学、卒業式を数多く体験してきました。
職員会議体験もあって、ずっと、君が代は歌わずに通しました。
但し、「起立しない」までは、できませんでした。
娘の高校卒式で、全員起立の号令の中、着席し続ける生徒が数人いて、かれらの心中を思いやったり、そんな程度で、この問題に対応してきました。
なにも考えず、ではないのです。
小学校、中学校、高校とありますから、入学式、卒業式で×2、こども3人だから×3
着席し続けることはできなかったけれど、18回歌わずに来た現行犯です。
でも、小泉政権のころだったか、安部政権のころか、自分の中で、終わりました。
もう、こだわるのをよそう、と。
もう、大学卒業して長い年月です。その間ヨーロッパ史の本や、映画などいろんなところから、どの国にも平和主義一本槍でなかったこと、を学んできました。
そう、フランスの国歌も結構戦闘的な内容だとか。
日本という国は、江戸期270年は藩幕体制ですから、国は藩のことであり、国の旗は六文銭、とか丸に十字などといった藩の旗のことでしょう。
幕末から明治にかけて、開国を迫られ、外国との交渉をする中で、この国の国家元首は誰か、国旗は何か、という場面で、日の丸を引っ張り出してきたのではないでしょうか。
太平洋戦争では、この日の丸は国威の象徴として使われました。そのことを反省して、上述の行動をとる流れは私たちの国にありました。わたしもその流れの一員でした。
でも、それから60余年。進駐軍から敗戦国に日の丸の掲揚が認められたのは49年だそうです。
それからは日の丸は、世界中へ国際貢献するときの物資に付けられた旗印でもありました。
60年、戦に使われずに平和の派遣にマーキングしてきたのです。
戦闘、侵略を繰り返してきた世界史をみても、世界のリーダー国にキレイな国旗はなかなか見当たりません。60年もそれなりに貢献してきたのだから、だから、「自分的には」、諸々含めて、日の丸という国旗を掲げることに、「目くじらたてる」はやめたのです。
少し前までは、国歌はあり、だけど、歌詞がねー、の思いもありましたが、こっちも、100パーセントの完全はありえないし、分水嶺があるとしたら、OKの側になったのです。
それが、現在の、このテーマに対する姿勢です。
さて、「大阪が」という問題でしたね。
これについては、今、司馬遼太郎さんカブレのなかにあるものですから、「他藩のこと」
という距離感があります。
そして、「権力による思想信条の強制はまかりならん」というスタンスで、私ののらりくらりがままならない、と思われるのでしたら、こう応えましょう。
私は、信じています。
若いリーダーが勢いついでに提案した、「38人の職を奪う」という生存権をおぼつかなくさせる先走りは、必ず頓挫すると。
ルールができる前に採用した人たちを、新しいルールで「退職」という厳罰処分するのは、余りにも後だしジャンケンみたいで、理に適わないと思います。
そして、今、自分が大阪府の教師だったら、起立することに、抵抗はないです。このことも、真剣に怒る気持ちになれない理由になるのでしょう。
自分たちの地域の問題である「浜岡原発3号機の再稼動」発言のときは、怒ったけれどね。摂津の国までは、ちと遠い。
私のちっぽけなアタマの興味は、どちらかというと国策の原子力ムラ界隈にあります。