読んでいるのは、司馬遼太郎著「昭和という国家」(NHKブックス)。
少し前置。
昭和61年に司馬さんが、NHK担当者から、司馬さんに昭和を語ってもらおうという企画が、「司馬さんのひとり語り」という形で実現し、放映されたものを文字化したものです。
タイトルも、ご本人は「雑談 『昭和への道』」と仰っていたようで、司馬さんの著書「明治という国家」と対応したタイトルにしたのは、司馬さん没後のことだそうです。
司馬さんは、昭和について書き記すことを避けておられた。ということが製作余話などにも出てきます。
そんな、司馬さんの本意じゃない形の出版物を読ませてもらって、ツマミ食いのようにブログの種にするのはなんだか、と思わないでもありませんが、まったく学ぶことが多いものですから、ここに記したくて拙文に残します。
司馬さんは、大正12年生まれで、終戦時は22歳。軍人体験もおありです。
「坂の上の雲」で日露戦争を書いていらっしゃるし、ロシア、ソ連の変遷にも並々ならぬ知識をお持ちの方です。
話の一つ
ソ連の情報を偵察する任にあたる武官が、ソ連の軍備の増強具合を忠実に参謀本部へ伝えたところ、戦闘意欲満々の参謀本部は、彼は恐露症に罹っている、日露戦争で勝利を治めた我が軍の威力は、ソ連など怖がっていてどうする。
という論理、だったそうです。その武官は不適格として任をはずされる、…そんな仕組みです。
で、策もなく75パーセントの死者を出したノモンハン事件につながった、と。
タイトルを「既視感」としました。
先日、原子力事故を特集した週刊誌ダイヤモントを読みました。
61年に東大工学部に原子力工学科が設置されて、1期生から17期生までの進路(就職先)を始め、国策推進へのまい進振り、どうお金が流れていったか、が記されていました。
「反原発」の意見を持つことは、将来にわたってルートから外れることであり、国策に沿ったエリートだけが、国の機関(大学での出世も)、東京電力等に、任官や就職していく仕組みなのです。
成績優秀者をペーパーテストで選抜して、エリートコースを保証することと引き換えに、考え方を自ずから拘束してしまう。「反原発はなし」だし、原発は望ましいエネルギー手段で決まりなのです。
いつの時代も、似たり寄ったり、だな、とおもった次第です。
東京電力の出世コースのエリート社員の方々も、20代で「原発は安全」の札を引いた人たちなのでしょう。
だから、世間を安心させるための防災コストはかけるけれど、「想定外」は、ないのだから無駄、という理屈なのでしょう。
この仕組み、きっと他の分野でも、はびこっているでしょうね。
この組織に巣食う課題は、地震被害からの復興とは区別して考えなくてはならないことでしょう。
長く自民党時代に、原発の地元、関係議員、東電、諸々の癒着をどう日に当てて整理していくか、これが課題でしょうね。
今、菅首相タタキが盛んですが、東京電力との腐れ縁がないから、改革には向いているのではないでしょうか。
専門家と名がつく、御用学者にもいろいろあるということ、リーダーにはすごい力が必要なのだと、つくづく思います。
余談ですが、司馬さんは、東条英機はペーパーテストでは優秀で、あそこまで(総理大臣、陸軍大臣、参謀本部長の3役兼務した人)へと上り詰めたのかも知れないけれど、人としては町内会長ぐらいが向いていた人だったと思う、と。
今、東電で、「なんでこんな責めに遭うのか、と正しく良いといわれる仕事をしてきただけなのに」と思っている人たちもいるのではないでしょうか。
流れに異を唱えるって、大変なことだと、つくづく思います。異を唱えたために、(歴史に)埋もれていった人たちも、多いのでしょうね。
沢山の仕事をしてこられた司馬さんの言だから、司馬教室の隅っこの生徒としては、そんなものか、なんて聞いて(読んで)います。
少し前置。
昭和61年に司馬さんが、NHK担当者から、司馬さんに昭和を語ってもらおうという企画が、「司馬さんのひとり語り」という形で実現し、放映されたものを文字化したものです。
タイトルも、ご本人は「雑談 『昭和への道』」と仰っていたようで、司馬さんの著書「明治という国家」と対応したタイトルにしたのは、司馬さん没後のことだそうです。
司馬さんは、昭和について書き記すことを避けておられた。ということが製作余話などにも出てきます。
そんな、司馬さんの本意じゃない形の出版物を読ませてもらって、ツマミ食いのようにブログの種にするのはなんだか、と思わないでもありませんが、まったく学ぶことが多いものですから、ここに記したくて拙文に残します。
司馬さんは、大正12年生まれで、終戦時は22歳。軍人体験もおありです。
「坂の上の雲」で日露戦争を書いていらっしゃるし、ロシア、ソ連の変遷にも並々ならぬ知識をお持ちの方です。
話の一つ
ソ連の情報を偵察する任にあたる武官が、ソ連の軍備の増強具合を忠実に参謀本部へ伝えたところ、戦闘意欲満々の参謀本部は、彼は恐露症に罹っている、日露戦争で勝利を治めた我が軍の威力は、ソ連など怖がっていてどうする。
という論理、だったそうです。その武官は不適格として任をはずされる、…そんな仕組みです。
で、策もなく75パーセントの死者を出したノモンハン事件につながった、と。
タイトルを「既視感」としました。
先日、原子力事故を特集した週刊誌ダイヤモントを読みました。
61年に東大工学部に原子力工学科が設置されて、1期生から17期生までの進路(就職先)を始め、国策推進へのまい進振り、どうお金が流れていったか、が記されていました。
「反原発」の意見を持つことは、将来にわたってルートから外れることであり、国策に沿ったエリートだけが、国の機関(大学での出世も)、東京電力等に、任官や就職していく仕組みなのです。
成績優秀者をペーパーテストで選抜して、エリートコースを保証することと引き換えに、考え方を自ずから拘束してしまう。「反原発はなし」だし、原発は望ましいエネルギー手段で決まりなのです。
いつの時代も、似たり寄ったり、だな、とおもった次第です。
東京電力の出世コースのエリート社員の方々も、20代で「原発は安全」の札を引いた人たちなのでしょう。
だから、世間を安心させるための防災コストはかけるけれど、「想定外」は、ないのだから無駄、という理屈なのでしょう。
この仕組み、きっと他の分野でも、はびこっているでしょうね。
この組織に巣食う課題は、地震被害からの復興とは区別して考えなくてはならないことでしょう。
長く自民党時代に、原発の地元、関係議員、東電、諸々の癒着をどう日に当てて整理していくか、これが課題でしょうね。
今、菅首相タタキが盛んですが、東京電力との腐れ縁がないから、改革には向いているのではないでしょうか。
専門家と名がつく、御用学者にもいろいろあるということ、リーダーにはすごい力が必要なのだと、つくづく思います。
余談ですが、司馬さんは、東条英機はペーパーテストでは優秀で、あそこまで(総理大臣、陸軍大臣、参謀本部長の3役兼務した人)へと上り詰めたのかも知れないけれど、人としては町内会長ぐらいが向いていた人だったと思う、と。
今、東電で、「なんでこんな責めに遭うのか、と正しく良いといわれる仕事をしてきただけなのに」と思っている人たちもいるのではないでしょうか。
流れに異を唱えるって、大変なことだと、つくづく思います。異を唱えたために、(歴史に)埋もれていった人たちも、多いのでしょうね。
沢山の仕事をしてこられた司馬さんの言だから、司馬教室の隅っこの生徒としては、そんなものか、なんて聞いて(読んで)います。