日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

昨日のこと、雑感。

2017-12-27 07:25:00 | 私の雑感あれこれ
昨日は、整形外科が終わってから、そのお近くにお住いの一人暮らし高齢者の方を訪ねた。
最近スマホに何度も通話記録が残っていて、気になっていたから。

…外出先だったりして出られなくって、翌日に架電すると、何の話をしたかったのか忘れた~となったりもしていたのです。

明るく話題を運ぶんだけれど、二言目には「もう死にたい」になってしまうので、伝染しないように気を付けています。
お元気なころは水泳も得意で、ステージで歌うのも堂に入ったもの、らしいです。
そんな活動的な方だったのに、、、。
俳句とか、何かテーマを見つけたら、と提案したこともありました。
…自分がそうなったとき、と連想しながら、、、。

ま、ひとさまの生き方にまで口出しできないので、提案どまりなんですけどね。

で、夜。
80代半ばの五木寛之さんが、NHKのPM9時からのアナウンサーと「老い」を語っていらっしゃいました。
「下山するとき」という本を出版なさったらしい?

登山ばかりではなく、下山するときに見えてくるものもある、という論調。
俳句サークルに入って云々、という流れもあるけれど、平均化される必要はない。老人の孤独を生きるのも大事なことだと。

自分が少し前に俳句を薦めたりしたものだから、うっ、と引っかかった。

そうですね。

ひとそれぞれ。

ひとり孤立は、寂しい、悪い、みんなと楽しくやるのはいいことだ。

そんなのだけでなくてもいい、ということを、五木さんは言いたかったのでしょうね。

彼は、周りに無防備に「死にたい」なんていう言葉をばらまいたりしない人なのでしょう。

佐藤愛子さんにしても、曽野綾子さんも、どんどん高齢を生きる本を出版なさっています。一定数の購買層があるのでしょうね。

年取ったらみんなこういうものだ、という平均化されたひとりに扱われたくないのならば、それなりに孤独を受け入れる術も身に着けておかないといけないのでしょう。

それにしても、いいお天気ですね、と大差ない口調で、「いつ死んでもいい」と出てくるのは、これから先にいいことは期待できない、と思った時に出るのだろうかしら、

そんなふうに思ったりします。



コメント
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