ひとりごとを吐き出す場所、なのでしょうね。
ブログが登場した初期から利用させてもらっています。
ホームページみたいなものよ、という説明をしていたものです。
無料で利用できて、自分のスケッチが誰に迷惑をかけるでもなく、見てくれたらうれしいな、程度でスタートしたものです。
励みになって、せっせと毎日描いていました。
それから、アンネフランクが架空の相手キティあてに日記を綴ったように、自分の中の相手を思いながら、綴りはじめ、スケッチのほうは長期開店休業になりました。
「街中の案山子」とタイトルをつけたころは50代半ば。子供たちは独立。
毎日通勤電車の往復で朝日新聞を小さくたたんで、読むのが日課でした。
本を読んでも新聞を読んでも、家人以外に話す相手もなく、官庁街、ビジネス街との往復する日々でした。
60代前半で隣地購入して庭づくりがスタート。
とても自分が勤勉なタイプとは思えないので、雑草が生い茂った敷地になるのではないかと、不安もありました。
手におえない、というスタンスに立たないためにも、興味を奮い立たせなくては、と自分なりのテーマを決めました。
ブログのタイトルを「庭にいます」に変更して庭の記録を乱雑ながらも残せるようになりました。
庭がバラで埋まり、季節ごとに変化する草花をローテーションで回していく、というスタイルに収まったところで、私のケガというブレーキがかかりました。
20年は無理でも、15年は続けたいと思っているので、再起の予定ですが、今は小休止。
本や映画やドラマの感想を書き殴ることができるのもブログ。
こういうことをしていた、こう考えたという足跡を残したいのだろうか。自分。
結局おしゃべりなんだけれど、ブログはブツクサ文句を言わない絶好の聞き手、というか、アイテムなのでしょう。
昨日のエピソード。
その1
某役所で、会社の名前はなんですか、と聞かれて、「○○○○」と、初めて声に出しました。
社長になるなんて!
人生こんなこともあるのですね。
その2
ひざ痛のために通院。ヒアルロン酸注射2回目。マッサージ2回目。
先週よりずいぶん歩き方がよくなりましたね、と整体師さん。
そう、余りにも痛くて、杖まで購入したのですが、使わなくてもよくなりました、と。
ブログが登場した初期から利用させてもらっています。
ホームページみたいなものよ、という説明をしていたものです。
無料で利用できて、自分のスケッチが誰に迷惑をかけるでもなく、見てくれたらうれしいな、程度でスタートしたものです。
励みになって、せっせと毎日描いていました。
それから、アンネフランクが架空の相手キティあてに日記を綴ったように、自分の中の相手を思いながら、綴りはじめ、スケッチのほうは長期開店休業になりました。
「街中の案山子」とタイトルをつけたころは50代半ば。子供たちは独立。
毎日通勤電車の往復で朝日新聞を小さくたたんで、読むのが日課でした。
本を読んでも新聞を読んでも、家人以外に話す相手もなく、官庁街、ビジネス街との往復する日々でした。
60代前半で隣地購入して庭づくりがスタート。
とても自分が勤勉なタイプとは思えないので、雑草が生い茂った敷地になるのではないかと、不安もありました。
手におえない、というスタンスに立たないためにも、興味を奮い立たせなくては、と自分なりのテーマを決めました。
ブログのタイトルを「庭にいます」に変更して庭の記録を乱雑ながらも残せるようになりました。
庭がバラで埋まり、季節ごとに変化する草花をローテーションで回していく、というスタイルに収まったところで、私のケガというブレーキがかかりました。
20年は無理でも、15年は続けたいと思っているので、再起の予定ですが、今は小休止。
本や映画やドラマの感想を書き殴ることができるのもブログ。
こういうことをしていた、こう考えたという足跡を残したいのだろうか。自分。
結局おしゃべりなんだけれど、ブログはブツクサ文句を言わない絶好の聞き手、というか、アイテムなのでしょう。
昨日のエピソード。
その1
某役所で、会社の名前はなんですか、と聞かれて、「○○○○」と、初めて声に出しました。
社長になるなんて!
人生こんなこともあるのですね。
その2
ひざ痛のために通院。ヒアルロン酸注射2回目。マッサージ2回目。
先週よりずいぶん歩き方がよくなりましたね、と整体師さん。
そう、余りにも痛くて、杖まで購入したのですが、使わなくてもよくなりました、と。