日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

ああ、高校時代の貴重そしてデリケート。

2018-03-19 21:56:47 | 私の雑感あれこれ
同期会の2次会は温泉ホテルのカラオケ。
普段はカラオケ付きと聞くとしり込みするのだけれど、ひとり部屋に戻るよりもとついていった。

うまい人の歌は、音痴が聞いてもいいものです。うふふ
途中で、♪ 真っ赤な~太陽~燃えている~♪と、懐かしの歌「快傑ハリマオ」をうたう人がいました。
そんなに熱心に見ていた番組ではないけれど、歌は知っています。
ついつい、自分の音痴を忘れて口ずさんみました。笑

そして、ラストは、あの「高校3年生」。

誰からともなく、みんな立ち上がって、
運動会の競技後のイベント、ファイヤーストームのたき火を囲んでの盛り上がりのようにスクラム組みながら。

白髪頭のおじいさん、若作りも限界のおばあさんたちのスクラムです。笑
私達はぴったり50年前の高校3年生たちなんです。
こんな場面があるなんて!!
きっと全国でこんな場面が展開されているのでしょうね。
人数の多かった団塊世代3年目ですから。

ひとつ、そうなの~と思った話。(話が通じやすくするため大学名を書きます)
学生運動のまっただ中でした。夏休みを終わっても講義は休講で、派閥の拡声器ばかりがにぎやかなキャンパス。
夫の大学は1月に機動隊が入って(テレビでもよく登場するシーンです)、1969年3月の入試は中止になりました。
キャンパスの動乱で例年通りの入試が困難との理由です。
そのころの夫(まだ結婚前)は、「去年受験した自分のことを思い出さないのだろうか。自分がすでに東大生になっているから、必死に勉強している今の受験生のことはそんなに大した問題ではないと思っているのだろうか」そういっていたのを覚えています。

今回、50年ぶりに耳にした話。
2年の時に同じクラスだったN君の話(そんな親しく話したことはないけれど、一緒にクラス委員だったような?私は地味めで彼は弁舌さわやかなタイプでした)。3年で理系に行ったので情報は伝わってきませんでした。
彼は今、家業の自転車屋をしているよ、と聞きました。
京都大学の受験に失敗して、一浪で再受験しようとしたときに、東大入試がなくなったので、受験生がどっと京都に押し寄せて、再度失敗。2浪して立命館だってよ、と。
こんな書き方、ちよっと品がないかもしれませんが、立命館だったら当然現役で余裕で合格レベルなハズ。
いろんな葛藤があっただろうな、と複雑な心境になりました。
結婚した奥様が起こした事業が成功して経済的には不足しないというのが、よかったとはいえるかも。子育てで似たような体験をしているので、身につまされます。類する体験が思いを馳せるスタンスになっるのです。・・・ゴメン、忘れてしまっているのに、他人にこんなふうに思われるのも嫌だろうし、当事者の気持ちってわかるはずないよね。ゴメン

26名の中で女性が5人。50年ぶりなこともあり、そもそも話したことがない男性陣も多くて、最後までニコニコと話題を振る程度しかできないのだけれど、50年間の人生を語る直球玉を投げてくる人がいたりして、かけがえのないひとときでした。
高校時代に醸し出していた人間性って、60代になっても匂いがするものです。

この年だから、みんないろいろあるよね~
そうだよね~

カラオケ後に入ったイオウ臭が強烈な温泉の湯船に、そんな会話が溶け込んでいきました。











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前記事のつづきです。 渡されなかった手紙。私の憲法9条への思い

2018-03-19 21:34:58 | 私の雑感あれこれ
前記事掲載文を渡しそびれ、3月に機会があるかと2018.2.20 に再度綴ったものの、日の目をみなかった文章です。
直接に面識のない方あての書簡なので、もんぎり型もいかがかと思ったりして、まどろっこしい文章になっています。読んでくださる方がいらしたら嬉しいです。

 S.Y 様

 去年の9月の地域の行事は欠席されましたが、当選後されたので、また地域の集会にご出席かしら、であれば読んでいただけるかも、という思いでキーをたたいています。
 
 去年当選後の11月、町の行事でブースの仕事をしていた時に、突然お顔をお見かけしました。その時は、読んでもらいたいと思っていた紙面は持ち合わせていなかったので、残念だ、と思ったものです。できましたらその紙面も併せて、読んでいただけたら幸いです。

 S.Y議員はその後立憲民主党に所属なさり、党として憲法部門を担当なさっているように耳に入ってきていました。そして、たまたま2月18日(日)のBSテレビの番組で、田原総一郎氏が司会で、自民党の元防衛大臣のN氏、S.Yさんほか1名(?)による討論番組を拝見しました。

 どのアンケート結果なのかは知りませんが、憲法改正に賛成派も半分になるとか、この70年で一番改正議論がテーブルに載りやすい時代になってきているとは思います。
 N氏に対する反論として、
「陸海空軍いかなる戦力も保持しない」の憲法に自衛隊の存在を認めるかどうか、の田原氏の問いに、
S.Yさんは「これまでも、今の憲法で、現実に自衛隊が存在していて、問題がなかったのだから、そのままでいい。変える必要はどこにあるのですか」と自信たっぷりの意見であり、「一昨年の集団的自衛権を認めた法案は、自民党の横暴だ」という話題に向かいました。
 私も、一昨年の集団的自衛権が話題になったとき、憲法学者が憲法違反というのは当然だと思いました。憲法9条を拡大解釈して、まず保安隊ができ、その後今の自衛隊が存在しているのですが、他国の戦争に加わることも出てくるというのは、拡大解釈も限界を超えるのでは、と。だから、順番として、憲法の見直しをして、今の日本の平和維持に必要な形に持っていくべきなのだけれど、きっといろんな事情から(外交秘密?)、勇み足でも、押し通さなければならなかったのでは、と眺めていました。
で、順番は違ったけれど、今度は自分たちの平和のための憲法の見直が必要なのではないか、という場面なのではないでしょうか。
 N氏の、憲法9条を守って、日本がなくなるようでは、どうしようもない、という、発言が的を得ているように思います。
 S.Yさんは安倍政権を打倒して、政権政党を目指しておられるのでしょうけれど、軍事増強をやめるという発想がない国に接していて、立憲民主党の主張で、多数の国民を説得できるのでしょうか。ミサイルが飛んできます。核実験も続くでしょう。そんな国に、私たちの国は軍備は持っていないから、餌食にしないでね、という理屈は通るでしょうか。
緊急時にはアメリカが、、、という気持ちが心のどこかにある日本人も多いと思います。集団的自衛権に拡張すると、アメリカの戦争に巻き込まれる!と聞くする向きもありますが、そうならないように、ブレーキをつけておく、という策を考えたほうが現実的だと思います。
 ここまで書いてきて、ふと思いました。
「憲法9条を守ろう」の人たちが投票してくれるから、そこは変えるわけにはいかない、という結論になるのでしょうか。
憲法で平和をうたうのは大事です。でも、この国が平和であることはもっと大事です。

 貴重な時間を割いて、読んでくださったとしたら、本当にありがとうございました。

                           2018.2.20記




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私の「憲法9条について」

2018-03-19 20:59:45 | 私の雑感あれこれ
本当はクモが糸を出すように(比喩が不適当?苦笑)綴りたいことがいっぱいなのですが、ちょっと横道。
署名しなかった私の見解を綴っておきます。

何度か話題にした地元選出国会議員あての文章です。出席されなかったので、多分日の目を見ることなく終わりそうで、ここに掲載してみます。

■ 総選挙後の2017年11月1日付の文章です。

S.Y様

 はじめまして。この度の総選挙の当選おめでとうございます。
○○県□区の住民です。S.Yさんには地域の行事でお目にかかっていますし、さわやかな笑顔のポスターは日常的に目に入ってくる日々でした。そのころから選挙民として、一度お尋ねしたいと、常々思っていました。
私達の地域の大事な政治家だから、落とすわけにはいかない、そういう声も耳に入ってきました。わたしも、熱心で誠実な若きホープが地元にいらっしゃるというのは嬉しいと思ってきました。
 今回無所属で立候補された選挙では、安倍政権打倒、憲法改正反対を前面に訴えられておられるように聞き取りました。
 そこでS.Yさんにお尋ねなのですが、
私は「現憲法を変えること=平和憲法でなくなる」とステレオタイプに決めつけたくない、と思っています。私は戦後生まれで、現憲法のすばらしさを教えられて育っています。憲法前文なども世界大戦後の焼け跡の中にあって、いかにも平和を希求する思いがあふれていて大好きでした。でも、戦後70年以上経過して、世界の状況もすっかり様変わりしています。近隣を見回すと、経済這って異なともない、軍備増強、覇権主義路線国家だったりします。
また、ミサイルが私たちの国の上を予告もなく飛んでいくのが現実です。きっと、我が国の都市の多くは核ミサイルで狙われているのかもしれません。
そんな状況の大きな変化を考えると、私は、
憲法第9条2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
という憲法を守って、自衛隊すら認めないのは今の状況にそぐわないと考えるようになりました。
現状は拡大解釈して、自衛隊(軍隊ではないと解釈、これは海外では通用しないのでは?)だけは認めているらしいのですが、拡大解釈して認める、という扱いを長年続けるのは、いかがなものかと思います。S.Yさんはどう思われますか。

日本と同じ敗戦国ドイツは戦後50回も憲法改正しているらしいです。
「改正する=平和憲法でなくなる」ではなく、より現状に適した、バージョンアップした平和憲法にしたらいいのではないでしょうか。
「平和な国日本であり続ける」を連呼するのは大賛成ですが、拡大解釈も限界にきている状況の憲法の改正を阻止し続けるのは、いかがでしょうか。
護憲を連呼していると平和を守る人、という正義感を振りかざすのではなく、今、現状の東アジア情勢にあって、現実的な見通しを踏まえた説明をお聞きしたいものです。

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2泊3日の北陸行き。目的は、母に会うこと+汽車通同期会

2018-03-19 07:37:34 | 私の雑感あれこれ
久しぶりに母の顔をみに。
弟が出してきた前回のアルバムの写真はチューリップのころだった。
1年近くもご無沙汰していたことになる。

日記レベルの雑文書きには1週間分ほどのアレコレを持ち帰ったような気分。
まだハイになっているのかな、ワタシ。
ボツボツとひも解いていこうと思う。

今日は同期会で泊まった部屋の場面。
予定の一人が欠席で、4人の女子会となった。
おしゃべり、おしゃべり。

幹事さん差し入れのお菓子も(実は冷蔵庫に飲み物も)あったけれど、だれも手を付けずに、しゃべる、しゃべる。

思えば私以外はフルタイム職業婦人を全うした教職経験者。なのでいまも地域の有用人材として家裁の調停委員や障碍者関連などで声がかかる人たち。
50年ぶりに顔を合わせた彼女は、高校時代、その前の中学時代、小学校の自分を語り、へぇ~の連続。
同じ時代、同じ地域で育ったのだけれど、こんなにも抱えていた感情は違うものだったのかと、昔の制服姿の彼女と重ね合わせることしきり。
もうすっかり、オトナだよね、私達。
いろんなデコボコ、アクシデントがあっても、ときどきにそれなりに乗り越えてきたという経験者だからね。

60代の今、うまい下手はあっても、みんなが畑や土いじりをしているところが似通っていたりして、話は尽きない。

で、翌朝。

50年ぶりの彼女が、おもむろにコレコレと言って、署名用紙を持ち出した。
困った。
「多分、、、、、」の一瞬の予想も当たった。

「憲法9条の会」の9条を守ろうアンケートだった。

彼女のたくさんの武勇談(女性だけれど。笑)を聞く役はできるけれど、ここで、署名のお付き合いしてしまうのは自分としてはできない。
そのイロハを語るのは面倒なので、あっ、先日書いた、私の9条問題の文書を読んでもらいたいものだ、と思ったけれど、持ち合わせていない。
だから、

ゴメン。わたしは署名したくない。

と、きっぱり。他の二人はすらすらと署名。

もう一つの用紙、リニアモーター建設の自然破壊反対の用紙にだけは名前を書いた。本当は、多分背景に政治色がにじんでいるだろうから、あぁ、そう、という流れで名前を書くのは嫌なんだけれど、ね。

9条を守るのは平和を守るから当然に署名をもらえるっていう発送に、70年代の空気を感じた。
私達は、あの立看が林立した政治の時代にキャンパスライフを送った世代です。

ま、オトナだから、断ったからと言って関係がぎくしゃくなるわけでもないし、ま、それだけのことですけどね。

先日、某人にアグレッシブね、と言われたけれど、50年ぶりの彼女は私の数倍アグレッシブで、
へぇ~とイメージを上書き。
でも、元気にやってきた人を見るのは頼もしいものです。



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