同期会の2次会は温泉ホテルのカラオケ。
普段はカラオケ付きと聞くとしり込みするのだけれど、ひとり部屋に戻るよりもとついていった。
うまい人の歌は、音痴が聞いてもいいものです。うふふ
途中で、♪ 真っ赤な~太陽~燃えている~♪と、懐かしの歌「快傑ハリマオ」をうたう人がいました。
そんなに熱心に見ていた番組ではないけれど、歌は知っています。
ついつい、自分の音痴を忘れて口ずさんみました。笑
そして、ラストは、あの「高校3年生」。
誰からともなく、みんな立ち上がって、
運動会の競技後のイベント、ファイヤーストームのたき火を囲んでの盛り上がりのようにスクラム組みながら。
白髪頭のおじいさん、若作りも限界のおばあさんたちのスクラムです。笑
私達はぴったり50年前の高校3年生たちなんです。
こんな場面があるなんて!!
きっと全国でこんな場面が展開されているのでしょうね。
人数の多かった団塊世代3年目ですから。
ひとつ、そうなの~と思った話。(話が通じやすくするため大学名を書きます)
学生運動のまっただ中でした。夏休みを終わっても講義は休講で、派閥の拡声器ばかりがにぎやかなキャンパス。
夫の大学は1月に機動隊が入って(テレビでもよく登場するシーンです)、1969年3月の入試は中止になりました。
キャンパスの動乱で例年通りの入試が困難との理由です。
そのころの夫(まだ結婚前)は、「去年受験した自分のことを思い出さないのだろうか。自分がすでに東大生になっているから、必死に勉強している今の受験生のことはそんなに大した問題ではないと思っているのだろうか」そういっていたのを覚えています。
今回、50年ぶりに耳にした話。
2年の時に同じクラスだったN君の話(そんな親しく話したことはないけれど、一緒にクラス委員だったような?私は地味めで彼は弁舌さわやかなタイプでした)。3年で理系に行ったので情報は伝わってきませんでした。
彼は今、家業の自転車屋をしているよ、と聞きました。
京都大学の受験に失敗して、一浪で再受験しようとしたときに、東大入試がなくなったので、受験生がどっと京都に押し寄せて、再度失敗。2浪して立命館だってよ、と。
こんな書き方、ちよっと品がないかもしれませんが、立命館だったら当然現役で余裕で合格レベルなハズ。
いろんな葛藤があっただろうな、と複雑な心境になりました。
結婚した奥様が起こした事業が成功して経済的には不足しないというのが、よかったとはいえるかも。子育てで似たような体験をしているので、身につまされます。類する体験が思いを馳せるスタンスになっるのです。・・・ゴメン、忘れてしまっているのに、他人にこんなふうに思われるのも嫌だろうし、当事者の気持ちってわかるはずないよね。ゴメン
26名の中で女性が5人。50年ぶりなこともあり、そもそも話したことがない男性陣も多くて、最後までニコニコと話題を振る程度しかできないのだけれど、50年間の人生を語る直球玉を投げてくる人がいたりして、かけがえのないひとときでした。
高校時代に醸し出していた人間性って、60代になっても匂いがするものです。
この年だから、みんないろいろあるよね~
そうだよね~
カラオケ後に入ったイオウ臭が強烈な温泉の湯船に、そんな会話が溶け込んでいきました。
普段はカラオケ付きと聞くとしり込みするのだけれど、ひとり部屋に戻るよりもとついていった。
うまい人の歌は、音痴が聞いてもいいものです。うふふ
途中で、♪ 真っ赤な~太陽~燃えている~♪と、懐かしの歌「快傑ハリマオ」をうたう人がいました。
そんなに熱心に見ていた番組ではないけれど、歌は知っています。
ついつい、自分の音痴を忘れて口ずさんみました。笑
そして、ラストは、あの「高校3年生」。
誰からともなく、みんな立ち上がって、
運動会の競技後のイベント、ファイヤーストームのたき火を囲んでの盛り上がりのようにスクラム組みながら。
白髪頭のおじいさん、若作りも限界のおばあさんたちのスクラムです。笑
私達はぴったり50年前の高校3年生たちなんです。
こんな場面があるなんて!!
きっと全国でこんな場面が展開されているのでしょうね。
人数の多かった団塊世代3年目ですから。
ひとつ、そうなの~と思った話。(話が通じやすくするため大学名を書きます)
学生運動のまっただ中でした。夏休みを終わっても講義は休講で、派閥の拡声器ばかりがにぎやかなキャンパス。
夫の大学は1月に機動隊が入って(テレビでもよく登場するシーンです)、1969年3月の入試は中止になりました。
キャンパスの動乱で例年通りの入試が困難との理由です。
そのころの夫(まだ結婚前)は、「去年受験した自分のことを思い出さないのだろうか。自分がすでに東大生になっているから、必死に勉強している今の受験生のことはそんなに大した問題ではないと思っているのだろうか」そういっていたのを覚えています。
今回、50年ぶりに耳にした話。
2年の時に同じクラスだったN君の話(そんな親しく話したことはないけれど、一緒にクラス委員だったような?私は地味めで彼は弁舌さわやかなタイプでした)。3年で理系に行ったので情報は伝わってきませんでした。
彼は今、家業の自転車屋をしているよ、と聞きました。
京都大学の受験に失敗して、一浪で再受験しようとしたときに、東大入試がなくなったので、受験生がどっと京都に押し寄せて、再度失敗。2浪して立命館だってよ、と。
こんな書き方、ちよっと品がないかもしれませんが、立命館だったら当然現役で余裕で合格レベルなハズ。
いろんな葛藤があっただろうな、と複雑な心境になりました。
結婚した奥様が起こした事業が成功して経済的には不足しないというのが、よかったとはいえるかも。子育てで似たような体験をしているので、身につまされます。類する体験が思いを馳せるスタンスになっるのです。・・・ゴメン、忘れてしまっているのに、他人にこんなふうに思われるのも嫌だろうし、当事者の気持ちってわかるはずないよね。ゴメン
26名の中で女性が5人。50年ぶりなこともあり、そもそも話したことがない男性陣も多くて、最後までニコニコと話題を振る程度しかできないのだけれど、50年間の人生を語る直球玉を投げてくる人がいたりして、かけがえのないひとときでした。
高校時代に醸し出していた人間性って、60代になっても匂いがするものです。
この年だから、みんないろいろあるよね~
そうだよね~
カラオケ後に入ったイオウ臭が強烈な温泉の湯船に、そんな会話が溶け込んでいきました。