日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

雲泥の差はあれど、、、これも公文書じゃない?

2018-03-27 15:40:27 | 私の雑感あれこれ
今日9時台に、リハビリに整形医院へいったら、待合室のテレビが、佐川元理財局長の証人喚問を中継していた。

リハビリが終わってから、10月の公傷扱いになる圧迫骨折の保険請求の添付書類として、役所へ診断書を提出に行った。
担当者が役所として「この内容でいいですよね」と、保険会社へ提出する書類を見せてくれた。


治療開始日も治療期間4か月もあっている。
でも、けがをした日は土曜日で、日月と痛みを堪えて、我慢できずに火曜日に診てもらった、というのが事実で、役所の担当者にも、そのことを伝えているのに、書類では、ケガをした日が治療開始日と同じ火曜日になっている。
公立保育園の運動会の玉入れで転倒しての圧迫骨折だから、役所は運動会の日が土曜日だと知っているのに。そのことを指摘しても、担当者としては、けがをした日=治療日、という先入観があって、私の主張が理解できないのです。

ま、指摘はしたのだから、彼とこれ以上問答するのもなんだし、と帰ってきた。

テレビのどのチャンネルも、午後もずっと、佐川元理財局長の書類の改ざんを知っていたかどうかの喚問が続行中です。

おいおい、わたしが事実を伝え、保育園の運動会があったのが土曜日で、月曜はどうしても仕事に行かなくてはならず、背中を曲げれず、顔を洗えず、靴下を履くにも脂汗が出るほど難儀していた日々をすっ飛ばして、火曜日にケガをしたことになっている。

アレレ!!

医師の診断書は封をしてあったから、詳細は不明だけれど、私は初診日にお医者さんに説明したのは、上記と同じ事実。
保険会社はどう対応するんだろう。

財務省は知恵者が忖度して、問題化。

ちいさな町の保険請求書類は、当事者が説明する事実を担当者が曲げて理解するひとで、公文書(?)のご記載。

なーんだろ。





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あがらいたいけれど。

2018-03-27 08:18:12 | 私の雑感あれこれ
かつて、夫の母が、
若いからいいね~。
近頃物覚えがさっぱりになってね、
と、一緒に台所をしながら言っていたのを思い出す。

今の私は、その、
物覚えが悪くなってきている自分に、ほとほと呆れる状況。

あれとこれをして、と段取りはメモ書きしなくては、ひとつは取りこぼす。

まだ、仕事は週2日間は現役。
ミスは当然アウト。だけど今までしたことがないウッカリが増えて、自分にがっかりするし、修復という手間が増えて、馬鹿だな~と反省ばかり。ウッカリを防ぐには見直しとメモに付きます。

経験ありのことについては、どこが大事で、どこをウッカリしやすい、と得手の部分もある、と思いたい。

年齢だからという仕方がない部分をどうフォローしていくか、ガンバレ → 自分

でも、若い時でなく、今だからこそ味わえる感覚っていうのもあって、その好奇心部分は満足しているのですけどね。

夫の母は自分を賢く機転か聞くタイプだと思っていただろうから、文頭のボヤキが出たのでしょうね。

その気持ちわかる、と今、私は言いたい。トホホ




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ソラマメ。

2018-03-27 06:54:38 | 母のことなど
おつまみ用にある、固くて殻もついている塩味のアレです。
先日、母の顔をみに弟宅に行ったとき、弟はますの寿司を買いに出て、ついでに袋入りのお菓子も買ってきた。

ソラマメのお菓子も。
コレって、硬くて食べられないんじゃない?

やー、どうだろう。
昔、食べたかったのがコレだったよね。
布団がぶって泣いていた、、、。

と、弟。

母は弟にも語ったのだな。
知っているのか、と思った。

母が私に語った話では、
弟を妊娠中でつわりがひどかった。
どういうわけか、ソラマメが食べたくって仕方がなかったという話。
そして、あまりにもつわりがひどくて、昼間に横になったら、
姑さんが、
昼間っから寝てるなんてなんだ、
そんなにつらいの中、医者(産婦人科)にいって、堕ろしてもらってこい。
そういわれて、あのころは布団被って、よく泣いたものだよ、という話になる。

ちなみに弟は昭和28年生まれです。

弟が産まれた日の記憶はあります(自宅に産婆さんがきての出産。わたし4歳。そのとき考えていたたわいもないことも。苦笑)。
母は、大根を洗っていたら産気づいてきたので、、、とも聞いている。
だから、私には11月22日頃は大根の収穫時期なんだというスリコミがあります。

私は、そうだね、と弟にうわっつらの返事。
いちいち根掘り葉掘り思い出さなくってもいい。
理不尽にもたえながら、それでも子供たちを育てるのに一生懸命してくれたことは、信じられるからね。

つましく生きてきた母は、それなりに知恵者であって、今、弟のところで暮らせている。
弟に介護費を支払いながら。
そうしないと肩身が狭くなるものだと、世間のことをしっかりとわかっている。

貧しい時代を生きてきた人は、とかくお金に執着すると思うのに、母にはそんなところはない。
盥の水の話をしてくれたのも母。(夫も話題にするけれど、私は最初は母から聞いたハズ)
盥の水を自分で囲い込もうとすると逃げていく。押し出そうとすると戻ってくるものだ、と。

ああ、母にとってのあのソラマメ、です。
101歳で、ボソボソと食べました。

ほんとだ、食べたいんだね、と弟の奥さん。笑

母にとっての姑(祖母)は94歳で自宅で死を迎えました。
床に伏したのは1か月半だったとか。介護したの母です。
贅沢だけれど紙おむつを使わせてもらう、といったのを覚えています。
世話の度に、しゃべることができないまでも、両手を合わせて感謝というか、申し訳ないの気持ちを表していたそうです。
最期の1週間、祖母は食事を摂るのをやめたいといい、水分だけになり死を迎えました。

全部母の記憶にあると思います。
今のところ、母は食欲も順調で、だから、トイレがんばらないといけないのです。

デイサービスの制度もあるし、時代は格段に良くなっています。

いろんなひとが、弊ブログを読んでくださっていると思いますが、
かつてはよかった。時代が悪くなった、という派のひととは、わたしは異感覚なんですよ。
現代のほうがいいです。
















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