私は時に、ことばフェチのところがある。
昨日の日経の夕刊の1面のコラム欄は玉村豊男さんでした。
近頃の言葉の使い方について、結婚後の自分が育った家を、女だけでなく男も「実家」という呼び方が普通になっていることを取り上げ、以前は嫁入りした女性が自分の里のことを呼ぶ言葉だったのが、男女両方で「実家」というを言い方をするようらなったのは、男女平等の時代の流れからきている、というのはわかるけれど、自分の妻を「うちの嫁は」という言い方も頻繁になってきたのは、どういう現象だろう、と。
玉村さんは私よりちょっと年上かな。
現在の憲法にある「結婚は両性の合意で、、、」とならった世代です。
女性が男性の家に嫁いでいくのが結婚という風習は長く残っていても、頭の中では、合意して夫婦やっているのだ、というのがセオリー。
私たちが若かった頃、
だから、「うちの主人」、「お宅のご主人」という表現は、主従関係が漂うから使いたくない、という声がありました。
その考えを採択してもいいのですが、では、代わりになる言葉は何になるのだろう。
いつも戸惑ってしまって、
ここ数十年は、言葉はどうでもいいや、と流れに任せて過ごしてきました。
以前かかわっていたNPO団体は、「ご主人」という表現はタブーで、「おつれあい」でした。
「子供」という表現もタブー。「子ども」にしないといけませんでした。
私は、ルーズ派。苦笑
でも、時々困ることがあります。
「使わない派」友人にメールするときです。
彼女が友人と話していて、相手の夫のことを表現する時は、確か「お宅の夫は、、、」といいます。メールの時は「お宅の夫さん」となります。同じ世代に大学生活を送っているので、彼女はそっち派だというのはわかります。
で、自分が彼女の夫のことを話題にしたメール(たとえば病気のその後ととか)のとき、使ったこともない「夫さん」というのは変だし、あったこともないのに「お宅の彼は」もおかしいし、「ご主人」と書くと嫌だろうし、とためらってしまいまする。
だから、主語がない文章を書いて、察すればわかるかな、というメールになったりします。
「ご主人」に変わる、よい言い回しが出てくるのを待つことウン十年。
なのに、若い人たちが、自分の奥さんのことを、「うちの嫁」と復古調になったような気がして、不思議。
昨日の日経の夕刊の1面のコラム欄は玉村豊男さんでした。
近頃の言葉の使い方について、結婚後の自分が育った家を、女だけでなく男も「実家」という呼び方が普通になっていることを取り上げ、以前は嫁入りした女性が自分の里のことを呼ぶ言葉だったのが、男女両方で「実家」というを言い方をするようらなったのは、男女平等の時代の流れからきている、というのはわかるけれど、自分の妻を「うちの嫁は」という言い方も頻繁になってきたのは、どういう現象だろう、と。
玉村さんは私よりちょっと年上かな。
現在の憲法にある「結婚は両性の合意で、、、」とならった世代です。
女性が男性の家に嫁いでいくのが結婚という風習は長く残っていても、頭の中では、合意して夫婦やっているのだ、というのがセオリー。
私たちが若かった頃、
だから、「うちの主人」、「お宅のご主人」という表現は、主従関係が漂うから使いたくない、という声がありました。
その考えを採択してもいいのですが、では、代わりになる言葉は何になるのだろう。
いつも戸惑ってしまって、
ここ数十年は、言葉はどうでもいいや、と流れに任せて過ごしてきました。
以前かかわっていたNPO団体は、「ご主人」という表現はタブーで、「おつれあい」でした。
「子供」という表現もタブー。「子ども」にしないといけませんでした。
私は、ルーズ派。苦笑
でも、時々困ることがあります。
「使わない派」友人にメールするときです。
彼女が友人と話していて、相手の夫のことを表現する時は、確か「お宅の夫は、、、」といいます。メールの時は「お宅の夫さん」となります。同じ世代に大学生活を送っているので、彼女はそっち派だというのはわかります。
で、自分が彼女の夫のことを話題にしたメール(たとえば病気のその後ととか)のとき、使ったこともない「夫さん」というのは変だし、あったこともないのに「お宅の彼は」もおかしいし、「ご主人」と書くと嫌だろうし、とためらってしまいまする。
だから、主語がない文章を書いて、察すればわかるかな、というメールになったりします。
「ご主人」に変わる、よい言い回しが出てくるのを待つことウン十年。
なのに、若い人たちが、自分の奥さんのことを、「うちの嫁」と復古調になったような気がして、不思議。