日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

何だか、、、電話も遠のいて。

2019-02-24 19:19:03 | 家族
かつては、母が電話してきた(今は耳が遠くて不可能)。

思えばそれなりに長電話だったような。
その時はメールという便利なものがなかった。

で、私と子供たちは、電話はめったにしない。

相手が、で、用件は? 要点は? と心中で思っているような気がして、

あっ、これって雑談、と思うと、しなくなっている。


雑談をすればいいのに、と思いながら、相手の生活もあるところに、こっちの話題を投げても、興味薄、だろうな、と思ってしまう。


3人兄弟の女は私だけ。だから姉妹での会話というのもない。

子育て中は、会話は多かったはずなのに、、、と思う。

塾に行っていなかったので、下校後は自宅にいたから。

ま、いいか。⇒ 自分へ

お正月に集まった時、食事の用意や孫たちのてんやわんやで、話は日常雑話。

食後に、本の話を少しした。そのころ印象深く記憶に残っている江戸期の歴史物語の話題など。

本当は、息子にある本を薦めたいのだけれど、彼は忙しくて長編を読む時間をとれず、科学雑誌のニュートンぐらいだと、飛行機の中で読んだりもするのに便利だけれど、、、なんて調子。
う~ん、残念。
すると、娘のほうが、その本、私読んだけれど、興味が合わなかったのか、印象がイマイチだけどな、と。
そうか、そんなものか、と。

でも、お母さんよくスラスラと年代まで交えて話せるね~、と感心はしてくれた。
そのうちいつか、時間ができた時に、読もうと思ってくれるかもしれない。

婿さんのほうは、読書家。歴史大得意の部類。あんまり押し付けてはいけないとココロしながら、です。

めんどくさいお母さんに思えるだろうな。苦笑

お料理の話、昨今の仕事の話、チビちゃんの話題もする。


でも、このお母さん、お勧めの本の話になるとウキウキして語りたがるんだから。

相手が退屈しないように、興味が湧くように、かいつまんで喋るようにはしているんだけれど、、、。

なんだか、たわいもない話をする電話から、すっかり遠ざかってしまった。

LINEのせい、かもしれない。

ま、いいや。

みんな一緒でなくてもいいのだから。






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歴史探訪、城巡り。

2019-02-24 08:38:21 | 歴史探訪・城巡り
これまでにもいくつもの城を訪ねた話題を書いてきたけれど、カテゴリーを独立させることにした。

さて、どれだけの城をめぐり、史跡を訪ねることことができるか、です。


昨日は、隣市のお城に行ってきました。この地に暮らし始めて、ずっと沿線道路は通っているし、「あれが岩崎城」とは周知していました。けど、城の中に入ったのは初。
(ひとりでスケッチには行ったことがあるだけでした)

日差しもあって、三々五々と人出はありました。こんなちっちゃな(勿論、コンクリートで再現した城)城でも、興味がある人は多いのね~、というのが、第一印象。団塊の世代かそれ以上の世代も多かったです。


1582年の本能寺の変で織田信長が亡くなり、跡継ぎ問題で、豊臣秀吉側と織田信雄(のぶかつ、信長の二男)・家康側が対立。
当時の岩崎城城主は4代目丹羽氏次。
両軍は、お互い、犬山、小牧に陣を張ってにらみ合いとなっていた。
秀吉方の池田恒興は、家康の岡崎城を攻めようと提案。進軍途中のにある岩崎城で、家康方の丹羽氏の兵300名と戦になります。
岩崎城を預かっていたのは、16歳の丹羽氏重でした。丹羽氏重側の兵300名であり、池田の軍勢7000名にはかなわず全滅。しかしながら、岩崎城の戦いで足止めを食ったことが、そのあとの「小牧、長久手の戦い(1584年)」で、家康軍が有利に戦えたということで、家康は城主の丹羽氏次を高く評価した、と原因となった戦が、秀吉軍を足止めり役割をしたことで、長久手の戦いで有利になった、とのこと。
1584年に廃城になった。

途中でwi-fiが切断したようで、中断。

再度接続できたのですが、記事の後半が消えました。

古戦場跡も近いし、桶狭間にはずいぶん以前に行ったきり。

いろいろ近場の史跡も訪問したいと思います。

歴史を楽しむのは、人の迷惑にはならないだろうし、若い時に感じる味わいとはまた別の捉え方で、自分の中に入ってくるように思えるから、もっと積極的にこれからの楽しみにしようと思います。







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