日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

山本周五郎時代劇「初蕾」を観る。

2019-02-26 14:15:49 | 映画・テレビドラマ・音楽
前2つの記事より先に見たので、既に忘却気味ですが、記憶をたぐりながら書きます。

某藩の青年侍の話。
学問好きな律儀な青年の融通が利かない理由からか、閑職に配置転換されてしまう。
そのことで腐った気持ちもあったのか、遊郭に通うようになり、好いた女性ができる。
身分違いの相手との密会を咎めた、幼馴染の侍同士で、なにを思い込んだか、ある日果し合いとなり、刀を抜く。
このことが発覚して、息子の咎の責任を取って父親は職を辞し、息子は国許から江戸へやられる。

場面変わって、遊郭の女は青年侍が江戸に立った後まもなく、身ごもっていることがわかる。

ある晩、職を辞してひそかに暮らしている父親の屋敷の前に、生後5か月の赤子が置き去りにされている。
門前に捨てられていた赤子には、一時も早く、乳を飲ませてくれる女が必要である。

乳の出る女性を探したところ、婚家に子供を置いて離縁となった女性がいる、とひとりの農民風の女が連れられてきた。
子どもが乳離れするまで、という条件で、その家に雇われることになる。

その女は、奥の部屋で赤子の泣き声を聞きつけると、無遠慮にも飛び込んで行ってしまう。
一心不乱に、乳を飲ませ、かいがいしく世話をする。

病にかかると、寝ないで看病する、と言った日々が続く。

乳離れするころに、赤子は天然痘にかかる。
ひっかくと傷跡が残る、となると、寝ないで何昼夜も子どものそばを離れない、というありさま。

治ったから、と言って、彼女はその子供のそばを離れがたい。

御武家の奥様はいう。この子は侍として育つのだから、あなたのように読み書きもできないものに、育児を任せておくわけにはいかない。
もし、この家に残りたいと願うなら、あなたが読み書きを覚える覚悟はあるか、と尋ねる。
勿論、ある、と応じる。
それから、読み書きの特訓が始まり、子どもと漢文を読み合わせをするまでになる。

そのような年月を送ること8年(?)。

息子と果し合いをした若者が訪ねてきて、江戸行を命じられた息子のその後の報告を受ける。
もともと学問好きだった息子は、昌平坂の学問所の講師を務めるまでに学問をきわめており、今度、殿様の藩への帰国の時に供をして帰国することになっている。だから、息子を喜んで受け入れてくれ、という申し出だったのです。

息子の不義理に免じて、職を辞してひっそりと暮らしてきた夫婦には、思わぬ吉報でした。

子守女も、この話は嬉しい話です。でも、身分違いはいかんともしがたく、8歳に育った子どもとも別れの時が来た、と察して屋敷を出ていきます。

この女の気持ちを察した夫婦は、子どもの手を曳かせて、江戸から帰国した息子侍の前に押し出すのです。

御武家の奥様は、言います。
いつごろからか事情はわかっていました。夫も知っています。そういうこともあって、あなたに厳しく教育をしなくては、という思いがあったのです。それをあなたはしっかりと乗り越えてくれました、と。

江戸帰りの息子侍との距離が近づいたところで、END。












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山本周五郎時代劇「あだこ」を観る。

2019-02-26 08:07:39 | 映画・テレビドラマ・音楽
引き続き、山本周五郎時代劇ドラマのあらすじを備忘録として残しておきます。。

「あだこ」

江戸暮らしの津軽藩若侍の屋敷での話です。
若侍の破れかぶれの心情そのままに、屋敷は荒れ放題の状況。エリアとしては麹町あたりです。
幼い時からの許嫁がいて、当然一緒になるものだと思っていたのに、許嫁に好きな人ができて出奔してしまった、という。
で、破れかぶれの引きこもり。

そんなところに、庭先に化け物の如くの黒い影。
それは化け物ではなく、下女指南の娘でした。
名前は「あだこ」。津軽弁で子守とか下女という意味らしい。

食べるものもなく、給金を払ってやれるわけもなく、、、だから必要ない、と断われども、断れども、真っ黒けの娘は置いてくれるだけでいい、世話をさせてくれ、と懇願。

散らかり放題の家の中や庭を片付け始める。
そして、付けが溜まってどの店(米屋、味噌、醤油など)も取り合ってくれないだろうに、不思議なことに食べるものも用意してくる。
50日分は食料の確保ができた、とまでいうのです。

自分のような無一文のものを助けるのは、同じ津軽藩のなじみであり、彼が彼女に援助をさせているのだと推測するようになる。

昼は針仕事を習いに行くようになり、夜なべにも針仕事をしている。不器用だから練習しなくてはみんなについていけないのだという。

すっかり、仲間内からの資金サポートと思っていると、違うらしいことがわかる。

あだこは、米屋、味噌やなどに頭を下げて、そこの下働きをする見返りに、食材を別けてもらっていたのです。
あだこの口からこのことがわかるのではなく、米俵を運んできた米屋の主が、ぶっきらぼうな若侍のあまりにもの態度に、ことのいきさつを語るのです。

そのうちに、針仕事もできるようになると、針仕事での収入も得られるようになり、米屋、味噌やなどでの下働きを終わりにして、針仕事に専念、それで夜なべもしていた、という筋。

彼女の生い立ちなども語るようになります。
津軽には父母、弟もいる、という。父は義父で、自分が年頃になると、自分を見る目が変わってきて、母親がギスギスするようになったので、自分が家にいないほうがいいと考えて、出てきた、という。
4軒の奉公先はどこも長くいられなかった。ご主人だったり、男の奉公人だったりが寝間に押し入ってきたりして、逃げ出さざるを得なかった。それで、御武家だったらそんなこともないだろうと、麹町界隈をうろうろしていたら、お金を払う余裕もなくて奉公人がいないという噂が耳に入ったことから、このお屋敷に置いてもらえないかと思った、のだという。

ということは、その黒い顔は男を近づけないための、、、

「ハイ、かまどの煤です」と。

だからか、しんみりしたとき目の周りが、アレッ! というシーンがあり、爛れているの?とは思っていました。
(ユーチューブの画像は良くないので判別しかねるのです。苦笑)
伏線だったのですね。

彼女の才覚と猛烈な働きぶりに刺激もされ、新しい仕官先も見つかり、若侍の生活は一新します。
許嫁に捨てられたという失意が吹っ切れた、ということ。




※この1週間ほどで続けざまに見た他の作品は「初蕾」「泥棒と殿様」。覚えているうちに、あらすじ書きたいと思います。

去年もBSジャパンの放映を録画で見たので、もうすべて見てしまったのだろうか、とそこのところは残念。
昨今のテレビドラマは殆どみませんが、自分にとってのストライクゾーンに飛び込んでくるドラマって、いいものはいいですね~。






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昼間のテレビタイムに、山本周五郎時代劇「しじみ河」を観る。

2019-02-26 06:17:21 | 映画・テレビドラマ・音楽
ヨガから帰って、さっさと切り替えて次のことをやる、という気力が残っていない。(少し反省)
というのを、自分への言い訳にして、(ナンプレをしたりもするけれと)テレビの前にいることが多い。

山本周五郎の時代劇ドラマを見ている。2016年に制作されてBSジャパンで放送された15話とのことだけれど、いつでもユーチューブで見ることができる。
昨日、おとついぐらいに見たものは、まだあらすじを覚えているので、備忘録として書いておこうと思う。
(ネタバレですから、観る予定の人は、以下、読むのを避けてください)

「しじみ橋」

彼女は江戸の町のうらぶれた長屋住まい。家族は中風で寝たきりの父親と目の見えない弟がいる。
8歳の時に母親が死に、父親が病に倒れてからは、一家を支えるのはその女の子となった。
下働きの仕事で食いつないでも、家賃は滞りがち。年頃になって好意をもつ男性はいる、という状況。
ある晩、大家でもある大店の後継ぎの息子が年頃となった彼女にしつこく迫ってきた。たまたまその場をみた彼氏は、しつこい大店の後継ぎを追いかけて、諍いになり、後継ぎの息子が彼氏に向かって短刀(脇差を改良したもの)を抜き、彼氏は命を落とした。逃げ惑っていた娘は、恋仲だった彼氏のそばにうずくまる。同じ長屋のひとりは、それを目撃もしていた。

彼女は人を殺したとして捉えられた。
本人も、自分が殺したと白状もした。

担当の司直(役職?)は、脇差を改良して作られた短刀をこの娘が凶器に使うハズがあるだろうか、など不審な点が気になって、再捜査を始める。

死罪もありうる罪だぞ、と娘に迫っても、彼女は頑として、自分が殺した、と貫き通す。
自分の家に帰りたくないのか、と問われると、

私は8つの時から働き通しで、牢に入って初めて、ゆっくり休めました、と。

残された臥した父親とめくらの弟はどうなってもいいのか、と詰問されて、そんなことはないハズ、と表情に変化が、、、。

目撃者とも相談して、大店の後継ぎの息子側と交渉、人を殺した罪は自分が負うから、残された家族の面倒を責任もって見てやる、という約束になっていた、という。

司直が(嘘も方便と)「その約束は守られていないぞ」と話を持っていくと、かたくなだった娘は、真実を語り始める、という話です。

牢に閉じ込められて初めてゆっくりできたという娘を、また大変な日々の暮らしに戻すことは、なんとも皮肉だけれど、無罪のものを罰することはまかりならぬ、というセオリーは貫けた、という物語でした。





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