すっかり春。
あちこちに満開の梅を目にしながら、陽気の土曜日、桶狭間(名古屋市緑区)に行ってきました。
1560年に合戦があった地、です。
20年以上前にも訪ねたことがあり、再訪です。
特に資料館のようなものもなく、駐車場もなく、公園に織田信長と今川義元のモニュメントが並んでいました。
合戦の相手同士が並んでいるのも、なんだか奇妙ですが、後世というものはこんなことをするのですね。
この合戦の時、信長26歳。1582年の本能寺は48歳だったということになります。
義元が本陣を置いたというおけはざま山へも足を向けましたが、一戸建ての住宅街です。
天下取り発祥の地、とありますが、地味なものです。
(そういえば、2月に訪問した小牧長久手の戦いの長久手古戦場公園の資料館は、5月末で閉館と張り紙がありました)
帰路、沓掛城跡(豊明市)にも立ち寄りました。
桶狭間に向かう前日に今川義元が宿泊した城とのことです。
勿論、廃城となっているので外構しかありません。
史跡案内の看板を読んで帰りました。
知らなかったことを知ることに、楽しみを覚えます。
新しい記憶はすぐに流れてしまいそうですが、例えば450年前を想像する能力は、若い時よりは濃くなっているように思うのですけどね。
あちこちに満開の梅を目にしながら、陽気の土曜日、桶狭間(名古屋市緑区)に行ってきました。
1560年に合戦があった地、です。
20年以上前にも訪ねたことがあり、再訪です。
特に資料館のようなものもなく、駐車場もなく、公園に織田信長と今川義元のモニュメントが並んでいました。
合戦の相手同士が並んでいるのも、なんだか奇妙ですが、後世というものはこんなことをするのですね。
この合戦の時、信長26歳。1582年の本能寺は48歳だったということになります。
義元が本陣を置いたというおけはざま山へも足を向けましたが、一戸建ての住宅街です。
天下取り発祥の地、とありますが、地味なものです。
(そういえば、2月に訪問した小牧長久手の戦いの長久手古戦場公園の資料館は、5月末で閉館と張り紙がありました)
帰路、沓掛城跡(豊明市)にも立ち寄りました。
桶狭間に向かう前日に今川義元が宿泊した城とのことです。
勿論、廃城となっているので外構しかありません。
史跡案内の看板を読んで帰りました。
知らなかったことを知ることに、楽しみを覚えます。
新しい記憶はすぐに流れてしまいそうですが、例えば450年前を想像する能力は、若い時よりは濃くなっているように思うのですけどね。