私の母は、縁の下の力持ち的な役割をいとわない人でした。
だから、昔の女の人は質素ながらも、コツコツと支えるタイプというイメージが先行します。
だから、その先の、もっと先の何百年昔の日本人の女の人についても、そういうイメージでまとめてしまっているところがあります。
数日前、いつものようにホットヨガから帰宅して、数独をしながら、テレビのユーチューブの司馬遼太郎の短編小説『戦国の女たち』の朗読を聞いていました。
朗読者は多分、男声、西田敏行、女声、竹下景子だと思います。
戦国時代の足軽頭ほどの下級武士。戦、戦、の日々です。首を○つとったぞ~、そのうち○つは兜首だから、親方様から褒賞の加増か期待できそうだ、と妻に告げる。妻も大いに喜ぶ。首を取るというのは、敵方の命をとるということです。おんなも夫と一緒にその武勲による加増を喜ぶ。なんだか、内容が違っても、昨今のサラリーマンの妻と類似していると思いませんか。
そして、加増でお前にも何か買ってやれる、という間もなく、すでに竹下景子女声は言います。「そうだと思って、たわしはもうこの小袖を買い求めました」と。ちゃっかりしてる!
綺羅やかな小袖に喜ぶ妻の顔に、戦場から帰った男声は、満足感を味わう一方で、なんという散財。仮に1000石(?)の加増があるとしても、身分が上がったら、それなりに具足などの身支度もこれまでと同じでいいというわけでもなく、補給用の馬ももう1頭必要だし、家来の一人も抱えなくてはならないのだぞ、くぎを刺す。
何だか、↑ の話の展開って、近代の夫婦像と似たり寄ったりのようで、「な~んだ」という感慨を持ちました。
勿論、山之内一豊の妻のタイプもいるだろううし、保科正之を育てた女性(武田信玄の妹、娘? 私はこの人に興味があります※)もいたけれど、どの時代も50歩100歩なんだと。苦笑
以前に、徳川美術館の解説ボランティアをしたこともあるという友人が、武士の妻は性根が座っていた。夫が戦場から敵方の首を持ち帰ったら、それをきれいに洗うのは妻の仕事だったんだって。と聞いていました。
朗読の中の妻が敵方武将の首を取ったことを、こんなに嬉々として受け止める社会なのなら、夫の持ち帰った首(褒賞の素)の泥や血を洗い流すのも、さもありなん、と理解できました。
私、すごいこと書いてますよね。(ただし、数独をしながらで、集中していたとは言えませんが、、、)
男女のあり方は50歩100歩だけれど、今の女性は、死人の首を洗うことを100%しなくていい、あり得ない世の中だというのは、なんと恵まれたことかと、そんなことを思います。
※ 会津藩の開祖、保科正之。徳川秀忠の落胤。高遠藩で育てられる。秀忠の正室お江が正之を連れ戻そうとしたけれど、養育していた武田信玄の妹、娘?は、気の強いお江側にこの正之を引き渡すのを拒んだ、というエピソード。
やがて、3代家光の懐刀となり、江戸幕府を文治政治へと転換していく梶きり役となった。異母兄弟ではあっても、あくまで家臣として仕えた人。半可通な説明になりましたが、こんな毅然とした女性の存在って、リスペクトします。
私のひとりごとのような話を、最後まで読んでくださった方ありがとうございます。
だから、昔の女の人は質素ながらも、コツコツと支えるタイプというイメージが先行します。
だから、その先の、もっと先の何百年昔の日本人の女の人についても、そういうイメージでまとめてしまっているところがあります。
数日前、いつものようにホットヨガから帰宅して、数独をしながら、テレビのユーチューブの司馬遼太郎の短編小説『戦国の女たち』の朗読を聞いていました。
朗読者は多分、男声、西田敏行、女声、竹下景子だと思います。
戦国時代の足軽頭ほどの下級武士。戦、戦、の日々です。首を○つとったぞ~、そのうち○つは兜首だから、親方様から褒賞の加増か期待できそうだ、と妻に告げる。妻も大いに喜ぶ。首を取るというのは、敵方の命をとるということです。おんなも夫と一緒にその武勲による加増を喜ぶ。なんだか、内容が違っても、昨今のサラリーマンの妻と類似していると思いませんか。
そして、加増でお前にも何か買ってやれる、という間もなく、すでに竹下景子女声は言います。「そうだと思って、たわしはもうこの小袖を買い求めました」と。ちゃっかりしてる!
綺羅やかな小袖に喜ぶ妻の顔に、戦場から帰った男声は、満足感を味わう一方で、なんという散財。仮に1000石(?)の加増があるとしても、身分が上がったら、それなりに具足などの身支度もこれまでと同じでいいというわけでもなく、補給用の馬ももう1頭必要だし、家来の一人も抱えなくてはならないのだぞ、くぎを刺す。
何だか、↑ の話の展開って、近代の夫婦像と似たり寄ったりのようで、「な~んだ」という感慨を持ちました。
勿論、山之内一豊の妻のタイプもいるだろううし、保科正之を育てた女性(武田信玄の妹、娘? 私はこの人に興味があります※)もいたけれど、どの時代も50歩100歩なんだと。苦笑
以前に、徳川美術館の解説ボランティアをしたこともあるという友人が、武士の妻は性根が座っていた。夫が戦場から敵方の首を持ち帰ったら、それをきれいに洗うのは妻の仕事だったんだって。と聞いていました。
朗読の中の妻が敵方武将の首を取ったことを、こんなに嬉々として受け止める社会なのなら、夫の持ち帰った首(褒賞の素)の泥や血を洗い流すのも、さもありなん、と理解できました。
私、すごいこと書いてますよね。(ただし、数独をしながらで、集中していたとは言えませんが、、、)
男女のあり方は50歩100歩だけれど、今の女性は、死人の首を洗うことを100%しなくていい、あり得ない世の中だというのは、なんと恵まれたことかと、そんなことを思います。
※ 会津藩の開祖、保科正之。徳川秀忠の落胤。高遠藩で育てられる。秀忠の正室お江が正之を連れ戻そうとしたけれど、養育していた武田信玄の妹、娘?は、気の強いお江側にこの正之を引き渡すのを拒んだ、というエピソード。
やがて、3代家光の懐刀となり、江戸幕府を文治政治へと転換していく梶きり役となった。異母兄弟ではあっても、あくまで家臣として仕えた人。半可通な説明になりましたが、こんな毅然とした女性の存在って、リスペクトします。
私のひとりごとのような話を、最後まで読んでくださった方ありがとうございます。