先日の茶話会(研究会?)で聞いた話なのだけれど、頭を離れなくなっているシーンがあるので、記しておこうと思う。
彼が1週間ほど前の講演会で、語り部さんに聞いた話。
だから、伝聞にはなります。
東北の震災で津波が押し寄せてきたとき、いっせいに避難しようと人は群がる。
車で避難するドライバーは、前方を塞ぐものを突き飛ばして、一目散に海岸から遠くへ行きたい一心です。
停電で信号機も消えていることでしょう。
沢山の交通事故が起きていたようです。何しろ急がなくてはならないから、ぶつかってもそのまま。
倒れた人も多くいたけれど、そんな人たちは、みんな津波にのみ込まれて、命を落としてしまっているから、交通事故の被害をとやかくいうこともない。
車で逃げ切れた人は命を救われたけれど、早く逃げ切れなかった人は命を落とした。逃げる車の負傷者になったことでも、命を落とした、と。津波被害の語り部さんの話の伝聞で恐縮ですが、そんな事情もあって、加害者ドライバー家族側の心情として、地元に戻りにくいというケースもある、とのことでした。
私が直接語り部さんから聞いた話に、放射能汚染エリアの境界に住む住民たちの間で、線引きされた向こう側とこちら側で、補助金がずいぶん違う、という現実を知って、一気に疎遠な関係になる、という話もありました。
テレビ報道で伝わってこない、現実です。
去年、稲わらの火の記念館を訪ねました。
江戸末期の和歌山県の話。村人には貴重な稲わらに火をつけて、夜道の避難誘導をしたことが、多くの村民を救った、という実話です。
車社会の現代では、「逃げる」に際して、前述の問題が出てくるんですね。
震災後に書かれた本で、「ホワイトアウト」「ブラックアウト」の2部作があります。
ホワイトアウトは、柏崎の原発が停電事故により、放射能漏れが、、、、という内容です。避難経路が渋滞を起こしてどうにもならない、という内容もありました。雪深い新潟だから、放射能からの避難だから、歩いて逃げるは想定されていなかったです。
当然、衝突事故もあるでしょう。信号もストップ。ドライバーは殺気立っている状況ですから。これは物語ですが、東北の語り部さんの話を思い出すにつけ、住民の避難もとりあげていたことを思い出しました。(著者は現役の官僚とのうわさあり)
そして、もう一つ。
(駆け出しの歴女ですから。苦笑)明暦の江戸の大火災。
本郷界隈から出た火がどんどん広がって、逃げ惑う人は日本橋にも大勢が押し寄せ、渡りきれずに焼死という歴史番組用に構成された画像もみたところです。江戸城の天守閣もこの時焼け落ちています。
江戸は3年に一度の頻度で大火災があった、とも。
いつも時代も、災害ありの世の中を生き抜いてきたのです。
関東大震災を記憶しているひとはほぼいなくなり、東京空襲を語る人も少なくなってきました。
そのどれもを知らない世代が古希を迎えようとしています。
(地域的に起こっている、地震、水害は近年しばしばですが)
まだ記憶に新しい(その津波が押し寄せるのをテレビ画像で見ていた)災害時に起こっていた現実の話が、あまりにも生々しいので、記しておきます。
彼が1週間ほど前の講演会で、語り部さんに聞いた話。
だから、伝聞にはなります。
東北の震災で津波が押し寄せてきたとき、いっせいに避難しようと人は群がる。
車で避難するドライバーは、前方を塞ぐものを突き飛ばして、一目散に海岸から遠くへ行きたい一心です。
停電で信号機も消えていることでしょう。
沢山の交通事故が起きていたようです。何しろ急がなくてはならないから、ぶつかってもそのまま。
倒れた人も多くいたけれど、そんな人たちは、みんな津波にのみ込まれて、命を落としてしまっているから、交通事故の被害をとやかくいうこともない。
車で逃げ切れた人は命を救われたけれど、早く逃げ切れなかった人は命を落とした。逃げる車の負傷者になったことでも、命を落とした、と。津波被害の語り部さんの話の伝聞で恐縮ですが、そんな事情もあって、加害者ドライバー家族側の心情として、地元に戻りにくいというケースもある、とのことでした。
私が直接語り部さんから聞いた話に、放射能汚染エリアの境界に住む住民たちの間で、線引きされた向こう側とこちら側で、補助金がずいぶん違う、という現実を知って、一気に疎遠な関係になる、という話もありました。
テレビ報道で伝わってこない、現実です。
去年、稲わらの火の記念館を訪ねました。
江戸末期の和歌山県の話。村人には貴重な稲わらに火をつけて、夜道の避難誘導をしたことが、多くの村民を救った、という実話です。
車社会の現代では、「逃げる」に際して、前述の問題が出てくるんですね。
震災後に書かれた本で、「ホワイトアウト」「ブラックアウト」の2部作があります。
ホワイトアウトは、柏崎の原発が停電事故により、放射能漏れが、、、、という内容です。避難経路が渋滞を起こしてどうにもならない、という内容もありました。雪深い新潟だから、放射能からの避難だから、歩いて逃げるは想定されていなかったです。
当然、衝突事故もあるでしょう。信号もストップ。ドライバーは殺気立っている状況ですから。これは物語ですが、東北の語り部さんの話を思い出すにつけ、住民の避難もとりあげていたことを思い出しました。(著者は現役の官僚とのうわさあり)
そして、もう一つ。
(駆け出しの歴女ですから。苦笑)明暦の江戸の大火災。
本郷界隈から出た火がどんどん広がって、逃げ惑う人は日本橋にも大勢が押し寄せ、渡りきれずに焼死という歴史番組用に構成された画像もみたところです。江戸城の天守閣もこの時焼け落ちています。
江戸は3年に一度の頻度で大火災があった、とも。
いつも時代も、災害ありの世の中を生き抜いてきたのです。
関東大震災を記憶しているひとはほぼいなくなり、東京空襲を語る人も少なくなってきました。
そのどれもを知らない世代が古希を迎えようとしています。
(地域的に起こっている、地震、水害は近年しばしばですが)
まだ記憶に新しい(その津波が押し寄せるのをテレビ画像で見ていた)災害時に起こっていた現実の話が、あまりにも生々しいので、記しておきます。