夏目漱石の「私の個人主義」を読みたくなった。
青空文庫で探すと、簡便に読める。
中学までは、数学、理科好き少女だったのが、高1で読書の世界に突入、と言った経緯を持っている。
遅読なので、長編の外国文学には手が出ない。
明治期以降の日本文学が読書対象。我が家に毎月配本される近代文学全集があったので、図書館利用する必要はめったになかった。
外国の作家では、短編が多いヘルマンヘッセがお気に入り。
先日読んだ橘玲(たちばなあきら)さんの、若い時代を書いている「80S(エイティーズ)」に、高校時代1週間の謹慎処分を受けた時に、ドフトエフスキーを読みまくり(長編なのにスゴイ)、原書で読みたいと思って、ロシア文学のある大学を志した、とあったけれど、
ヘルマンヘッセを原書で読みたいと思ってドイツ語を選択した時の気持ちと同じ。そして、ロシア語の授業ではいの一番にドロップアウトした、とあったけれど、悲しいことにそこも似たり寄ったり。苦笑
同窓会では、同じクラスながら本の話などしたことがない人と、当時は読書好きで、、、という話になった。彼女は国立の図書館短大に進学していたというのも、先日初めて知った。
自分の本読みにのめり込んでいった当時の光景を思い浮かべたりもした。
「本を読む」ことに恋をしたのかもしれない。
物語本を手にしても、次々と読んでいった経験がなかった私が、なぜ、本読む人になったのだろう、と。
あの『自己本位』とか『個人主義』という表現で、自分の中の自我が語られている文章がすとんと胸にきた、からかも、と。
というわけで、文頭の「私の個人主義」を読了。
同じく、橘玲さんの『上級国民 下級国民』の中で印象に残っていることも響いているかな → 自分
個人の生き方、なんてものは、歴史始まって以来、ずっとなかった、と。
生きていくこと(命をつないでいくこと)が最優先で、その手立てとして、組み込まれている身分に背くのはご法度だった。女性にしても同じ。男女平等という発想そのものもない。子供が産める15歳ぐらいになれば、結婚の対象であり、そうすることで口過ぎして生涯を送るものでした。武将の家に生まれれば当然政略結婚の道具です。二十歳前に子を産むのも普通のことという長い歴史の中で、今の社会のほうがレアパターンなのです。
そう、「人は個人として尊重される」、戦後生まれの私たちは、耳たこぐらいに訊いてきた言葉ですが、それは、それほどまでに連呼しなければ浸透しないだろう、ぐらいの、これまでとは違った価値観だったのです。
昨年、秋田の角館に行ってきました。観光地に行っても、めったに乗ることはない人力車に乗りました。車夫役の若い案内人は、城下町のイロハを語ってくれました。その中に、敷地の広さだけでなく、塀の高さまでも、武家社会の中の階級によって決まっていて、上司より高い塀を作ることはできなかった、というのがありました。お城の近くにご家老の家があって、そのあとも格の高い人から順に屋敷があてがわれている。それが能力によってではなく世襲によって受け継がれていく社会だったのです。
きっと、角館に限ったことではないでしょう。そう思うと封建社会しか知らないで生きていた人たちのものの考え方というのは、今の価値観とどれほど違っていたものかと、想像を超えるもの、でしょう。
お上のためなら切腹もいとわないのですから。
そう、日ごろ頭の中に雑学をないまぜにして暮らしているものだから、あの『自己本位』『個人主義』という文章が載っていた、現代国語の教科書が懐かしくなり、青空文庫を探してみた、というわけです。
この本は、学習院大学での講演がもとになっているのですが、個人の自由を貫くためには、一方で義務が伴うことをはき違えないこと、という話を、大正3年、晩年のの夏目漱石(慶応3年生まれ)さんは述べておられました。
青空文庫で探すと、簡便に読める。
中学までは、数学、理科好き少女だったのが、高1で読書の世界に突入、と言った経緯を持っている。
遅読なので、長編の外国文学には手が出ない。
明治期以降の日本文学が読書対象。我が家に毎月配本される近代文学全集があったので、図書館利用する必要はめったになかった。
外国の作家では、短編が多いヘルマンヘッセがお気に入り。
先日読んだ橘玲(たちばなあきら)さんの、若い時代を書いている「80S(エイティーズ)」に、高校時代1週間の謹慎処分を受けた時に、ドフトエフスキーを読みまくり(長編なのにスゴイ)、原書で読みたいと思って、ロシア文学のある大学を志した、とあったけれど、
ヘルマンヘッセを原書で読みたいと思ってドイツ語を選択した時の気持ちと同じ。そして、ロシア語の授業ではいの一番にドロップアウトした、とあったけれど、悲しいことにそこも似たり寄ったり。苦笑
同窓会では、同じクラスながら本の話などしたことがない人と、当時は読書好きで、、、という話になった。彼女は国立の図書館短大に進学していたというのも、先日初めて知った。
自分の本読みにのめり込んでいった当時の光景を思い浮かべたりもした。
「本を読む」ことに恋をしたのかもしれない。
物語本を手にしても、次々と読んでいった経験がなかった私が、なぜ、本読む人になったのだろう、と。
あの『自己本位』とか『個人主義』という表現で、自分の中の自我が語られている文章がすとんと胸にきた、からかも、と。
というわけで、文頭の「私の個人主義」を読了。
同じく、橘玲さんの『上級国民 下級国民』の中で印象に残っていることも響いているかな → 自分
個人の生き方、なんてものは、歴史始まって以来、ずっとなかった、と。
生きていくこと(命をつないでいくこと)が最優先で、その手立てとして、組み込まれている身分に背くのはご法度だった。女性にしても同じ。男女平等という発想そのものもない。子供が産める15歳ぐらいになれば、結婚の対象であり、そうすることで口過ぎして生涯を送るものでした。武将の家に生まれれば当然政略結婚の道具です。二十歳前に子を産むのも普通のことという長い歴史の中で、今の社会のほうがレアパターンなのです。
そう、「人は個人として尊重される」、戦後生まれの私たちは、耳たこぐらいに訊いてきた言葉ですが、それは、それほどまでに連呼しなければ浸透しないだろう、ぐらいの、これまでとは違った価値観だったのです。
昨年、秋田の角館に行ってきました。観光地に行っても、めったに乗ることはない人力車に乗りました。車夫役の若い案内人は、城下町のイロハを語ってくれました。その中に、敷地の広さだけでなく、塀の高さまでも、武家社会の中の階級によって決まっていて、上司より高い塀を作ることはできなかった、というのがありました。お城の近くにご家老の家があって、そのあとも格の高い人から順に屋敷があてがわれている。それが能力によってではなく世襲によって受け継がれていく社会だったのです。
きっと、角館に限ったことではないでしょう。そう思うと封建社会しか知らないで生きていた人たちのものの考え方というのは、今の価値観とどれほど違っていたものかと、想像を超えるもの、でしょう。
お上のためなら切腹もいとわないのですから。
そう、日ごろ頭の中に雑学をないまぜにして暮らしているものだから、あの『自己本位』『個人主義』という文章が載っていた、現代国語の教科書が懐かしくなり、青空文庫を探してみた、というわけです。
この本は、学習院大学での講演がもとになっているのですが、個人の自由を貫くためには、一方で義務が伴うことをはき違えないこと、という話を、大正3年、晩年のの夏目漱石(慶応3年生まれ)さんは述べておられました。