自宅介護を続けている弟から102歳にして、初めて特養に申し込み手続きをしてきたというメールが入った。
入居者170人の施設。平均年齢86歳。102歳に比べると、若い! と思うけれど、皆さんそれなりに介護度は高いはずだから、みなさん重症者に見えたようだ。うち認知症者が60名いるという。
夜間の介護は8人で担当しているという。
ひとり20人超です。
そりゃ、オムツしてもらわないと、トイレ介助のお世話は困難だろうと、推測できる。
母は、そのオムツ利用ができないで、現在、難儀している。
何度も説明しても、夜中に外してしまう、の繰り返し。
1200CCが床に流れるのだから、後始末が大変。
これがクリアできるようになって、施設入居が叶えば、と思っていたのに、、、。
今、考えているのは、一晩か二晩、拘束したりすると、オムツに排尿に慣れるのだろうか。
プロの方にお聞きしたいと思っています。
老人でなくても、病院では、事故などで夜間も絶対安静のケースで、つないである管を外したら大変だから、という理由で拘束バンドを利用している。そんなように、慣れるまでだけ、という利用の仕方はあるのではないか。
拘束された人の立場を考えると、そんな無茶なことは、、、、とは思う。
だけれど、1200CCのために、毎晩何度も見回らなくてはならないのも、これも大変なことだと思うから。
きっと、拘束などされたら、精神的というか気力が何ポイントが減じると思う。でも、なんど言い聞かせても、その時だけ肯いても後は、同じ行動をとってしまうのだから、介護者の消耗とどちらが大事か、とも思ってしまう。
これは、施設にもっと手厚く介護者をつけて対応してほしい、と言っているのではない。
自宅介護であっても、限界があるのでは、と思うから。
ちなみに、弟としては、申込み書を提出はしてみたものの、母を入居させたくない、というベクトルのほうが増したようで、しばらくはショートスティとデイサービスを利用しながら、介護を続けていくようです。
申し込みをしたのは、特養としては古参株の施設です。最近できたユニット型の特養を見学するとイメージが変わるかも知れないのに、、、。
私たち団塊世代が、こぞって超高齢になる頃を考えてみる。
きっと、自分の意志で、人生の終わりを決める、というのもあり、という流れが出てくるように思う。
以前は本人への『がんの告知』はタブーだったけれど、今は、自分の病気を治したいと思う人は、病気を知るところから、という考え方になっている。
世の中の考え方は変わることもおおいにある。
そんな時代になって、能動的な選択ができるように、今を大事に生きたいものです。