日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

目の前の母の介護の課題。

2019-10-05 14:51:15 | 私の雑感あれこれ


自宅介護を続けている弟から102歳にして、初めて特養に申し込み手続きをしてきたというメールが入った。

入居者170人の施設。平均年齢86歳。102歳に比べると、若い! と思うけれど、皆さんそれなりに介護度は高いはずだから、みなさん重症者に見えたようだ。うち認知症者が60名いるという。

夜間の介護は8人で担当しているという。

ひとり20人超です。

そりゃ、オムツしてもらわないと、トイレ介助のお世話は困難だろうと、推測できる。

母は、そのオムツ利用ができないで、現在、難儀している。

何度も説明しても、夜中に外してしまう、の繰り返し。

1200CCが床に流れるのだから、後始末が大変。

これがクリアできるようになって、施設入居が叶えば、と思っていたのに、、、。

今、考えているのは、一晩か二晩、拘束したりすると、オムツに排尿に慣れるのだろうか。
プロの方にお聞きしたいと思っています。

老人でなくても、病院では、事故などで夜間も絶対安静のケースで、つないである管を外したら大変だから、という理由で拘束バンドを利用している。そんなように、慣れるまでだけ、という利用の仕方はあるのではないか。

拘束された人の立場を考えると、そんな無茶なことは、、、、とは思う。
だけれど、1200CCのために、毎晩何度も見回らなくてはならないのも、これも大変なことだと思うから。

きっと、拘束などされたら、精神的というか気力が何ポイントが減じると思う。でも、なんど言い聞かせても、その時だけ肯いても後は、同じ行動をとってしまうのだから、介護者の消耗とどちらが大事か、とも思ってしまう。

これは、施設にもっと手厚く介護者をつけて対応してほしい、と言っているのではない。

自宅介護であっても、限界があるのでは、と思うから。

ちなみに、弟としては、申込み書を提出はしてみたものの、母を入居させたくない、というベクトルのほうが増したようで、しばらくはショートスティとデイサービスを利用しながら、介護を続けていくようです。

申し込みをしたのは、特養としては古参株の施設です。最近できたユニット型の特養を見学するとイメージが変わるかも知れないのに、、、。




私たち団塊世代が、こぞって超高齢になる頃を考えてみる。
きっと、自分の意志で、人生の終わりを決める、というのもあり、という流れが出てくるように思う。

以前は本人への『がんの告知』はタブーだったけれど、今は、自分の病気を治したいと思う人は、病気を知るところから、という考え方になっている。
世の中の考え方は変わることもおおいにある。
そんな時代になって、能動的な選択ができるように、今を大事に生きたいものです。




コメント (3)
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