日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

映画「人間魚雷出撃す」を観る。

2021-03-29 06:58:06 | 映画・テレビドラマ・音楽
一昨日に取り上げたアメリカ映画「バイス」を観た次の日に見た。
政府の戦争へと向かっていった経緯をテーマにした映画をきちんと作ろうとしている映画人たちのいるのがアメリカ、という印象を受け、日本は、、、という気持ちも湧かなくもなかった。
で、この作品。
制作年は結構古いと推察される。まだ検索していない。
だって
石原裕次郎や長門裕之が魚雷の乗組員で、長門裕之は19歳の若者役なのですから。
森雅之という俳優さんが潜水艦の館長で、その潜水艦は4機の魚雷を潜水艦の上部に固定する形で積んでいる。
敵艦が現れ、戦闘態勢になるときに、潜水艦が海上に顔を出し、潜水艦の中から上部の魚雷へと乗り込み発射に向けてスタンバイする。

昔は目にした記憶もある、日めくりカレンダー。昭和20年7月の日付が生々しい。
人間魚雷に乗り込んで出撃する、ということは、永遠のゼロ、なのです。
全員がそのことはわかっているので、乗り込もうとして梯子を上っていく乗組員に別れを告げるときの緊張感は、、、、。

発射せずに残っていた2機が出撃した日は、日めくりカレンダーが29日。
ああ、あと16日、17日生き延びれたら、出撃命令は出なかったのに。

数年前、広島の原爆資料館を観た後、幾人かの仲間と会食していた時、ひとりの男性が語ったことを思い出しました。
僕のおふくろの弟は、回天(人間魚雷)で戦死したんだ、と。

戦争を記述した書物などで読むことはあっても、人間魚雷がどういう形のものか、などは想像の域のままでした。
戦後まもなくに制作されたこの作品を見ることによって、リアルなものに上書きされた気がします。

日本映画も大事な作品を持っている、と思った次第です。

「人間魚雷出撃す」
1956年(昭和31年)制作の作品でした。
解説には戦争映画という表現がありますが、ナイーブな側面もきちんと押さえられている作品です。この時代、まだまだ戦争の記憶をなまなましく抱えていた人たちが沢山いらした時代だったのだろうと、戦後生まれの私は思ったりします。






コメント
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