日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

どうもできず、、、。

2021-12-10 07:45:19 | 私の雑感あれこれ
1週間前にメールがあり、電話でも話した。
電話の話ぶりはいつもと明らかに違う。
体調を崩した(正確には彼女はなんと表現したのだったか?)と。
一緒にやっている係の仕事もできない状態になっている、と。

私より一回り以上若くて、快活なタイプです。雑談の中にも頓智の効いた展開に、あっ、若い人ってこんな反応をするんだ~、と、新鮮に思ったりしました。
それなのに、この電話では声も沈殿。
いろいろなことが重なってね、それらは一応片付いたのだけれど、私のココロが落ち込んじゃって、仕事も辞めたの。家事がギリギリでこなせる状態、と。

皆さん、誰もがそれぞれの問題を乗り越えてこられているのに、自分がこんな風になるのは、、、(ふがいない)、なんだけれど、今は、こんな状況で、高齢者の方々をサポートする役割を継続する自信がない、と。

心療内科では、適応障害と診断されたという。
うーーん、どうにもできない。
彼女は大家族のたくさんの兄弟姉妹の中で育ち、そして彼女の家庭でも4人ものお子さんが成人で同居、または近居なさっている環境です。
子供が巣立ってしまって、二人家族になって長くなっている我が家の対局のようで、賑やかだろうな~と想像していました。
お姑さんを病院へ送って行かなくては、と聞いたこともあるから、姻族も近居なのでしょう。

我が家ときたら、自家製の野菜はおすそ分けはしますが、お歳暮で立派な果物をいただいても、お菓子をいただいても、おすそ分けする先がない状態。

そんな肉親が大勢でも、ココロに貯まるものでいっぱいになるのかしら。

「今は少し休養したい」との言葉に、「こちらは大丈夫だから、自分でよいと思う選択をしてね」としか、返答のしようがない。

皆さん、それぞれいろんなことがあっても乗り越えてこられているのに、、、との彼女の言い回しが、50代、60代と歳を重ねたからこそでるセリフだと、つくづく思った。

ふと振り返る。
■交通事故の知らせで遠路駆け付けた病院。HCUの病室で開いた眼を視点定まらずに泳がせている意識不明の娘のベットサイドにいた時。片耳にあてがわれた分厚いガーゼは耳の穴からの出血で真っ赤に染まっていた。病院での付添い泊はできないといわれて、深夜にタクシーで娘宅に帰ったけれど、眠れなかった。今の私は一晩眠れなくてもどうってことないから、この夜は眠ろうと思わなければいいんだ、そうすれば「眠れない」ではなくなるから、と。
■産まれた孫が新生児仮死状態で大きな病院に緊急搬送された晩に泊まったビジネスホテルで。なんでこんなことが重なるの、と誰もいない部屋で大泣きした。

百人百様なんでしょうね。

そういえば、ひと月ほど前にも、実は身内(我が家からすると遠いけれど)の少年が大変な病気に、、、という話も聞かされた。
ご両親はさぞかし、と思われる状況だと思う。良い病院に入院で来ているから、それはラッキーだと思うしかない、と。

何なんだ、人生ってやつは!

結局は自分に与えられて一日一日を大事に過ごしていくしかない、それに尽きる。

今日の予定。
午前中は郵便局と徒歩圏のスーパーで衣料品の買込み。車で果物を買いに行ってくるかも。
午後は予定の集まりへの出席。

















コメント
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