テレビ欄は大抵新聞の最終ページにあるもので、かつて耳にしたときは「新聞を後ろから読む」とは、「そういう意味」でした。
今の購読紙は最終ページは文化面になっている。
で、後ろから、拾い読みを少し、の私です。
とにかく、5時前から庭仕事で消耗しているので、は言い分(苦笑)。
今月の「私の履歴書」はテンプスタッフ創業者の篠原欣子さんです。
留学先をスイスのチューリッヒからイギリスのボーンマス、そしてロンドンに移ったのが1970年で35歳になっていた、とあるから、いま御年80歳目前か。
以下、引用
カレッジでは秘書のコースに入ってビジネス英語やマナーを学んだ。(略)
勉強だけをしていた。
下宿にあった広い芝生の庭。駆け回る犬。生垣のバラ。覚えているのは下宿の光景だけで、ロンドンのにぎわいを私は知らない。
以上、引用終わり
なんか、はっと、思った。
聞いたことがある台詞。
たしか、フルブライト留学生としてハーバードの大学院へ留学していた娘の友達の台詞。
(2年間留学していたから)帰ってきてから、アメリカのこと、よくみんなに聞かれるのだけれど、私は勉強に追われて、アメリカのこと何にもしらないのよ、ただただ勉強が大変だったというイメージしかないの、と。
一途にやっているときは、地味でちっとも光らない。やがて光るって言う保証もない。
でも、やらずにいられないのだろうな。
そんな、がんばったひとの話に惚れ惚れする。
余談だけれど、
70年代に、夫に同伴して1年間海外に滞在した友人は、今でもいう。
「向こうではねー」と。
その国は40年近く前もいまも同じで、自分はその国を知っている、という風に、私たちに紹介する。
実は、ちょっと、そんな喋り方をする彼女を残念に思っている。
今の購読紙は最終ページは文化面になっている。
で、後ろから、拾い読みを少し、の私です。
とにかく、5時前から庭仕事で消耗しているので、は言い分(苦笑)。
今月の「私の履歴書」はテンプスタッフ創業者の篠原欣子さんです。
留学先をスイスのチューリッヒからイギリスのボーンマス、そしてロンドンに移ったのが1970年で35歳になっていた、とあるから、いま御年80歳目前か。
以下、引用
カレッジでは秘書のコースに入ってビジネス英語やマナーを学んだ。(略)
勉強だけをしていた。
下宿にあった広い芝生の庭。駆け回る犬。生垣のバラ。覚えているのは下宿の光景だけで、ロンドンのにぎわいを私は知らない。
以上、引用終わり
なんか、はっと、思った。
聞いたことがある台詞。
たしか、フルブライト留学生としてハーバードの大学院へ留学していた娘の友達の台詞。
(2年間留学していたから)帰ってきてから、アメリカのこと、よくみんなに聞かれるのだけれど、私は勉強に追われて、アメリカのこと何にもしらないのよ、ただただ勉強が大変だったというイメージしかないの、と。
一途にやっているときは、地味でちっとも光らない。やがて光るって言う保証もない。
でも、やらずにいられないのだろうな。
そんな、がんばったひとの話に惚れ惚れする。
余談だけれど、
70年代に、夫に同伴して1年間海外に滞在した友人は、今でもいう。
「向こうではねー」と。
その国は40年近く前もいまも同じで、自分はその国を知っている、という風に、私たちに紹介する。
実は、ちょっと、そんな喋り方をする彼女を残念に思っている。